最近のマイブームはトーキョー喫茶店巡り。同じく今春から上京してきた学生時代の友人と街歩き&喫茶店巡りを楽しんでいます。
二人のパターンはいつも決まっています。休日になんとなく集合する駅と時間を決める。駅の改札で集合し、まずは街歩きを楽しむ。そして、いい感じの雰囲気の喫茶店を見つけることができたら凸する。ただそれだけ。
賑わう商店街や人通りの少ない路地裏を歩きながら、あーでもないこーでもないと近況報告。その土地に関する情報がほとんどないなかでただただ歩きます。無論、インターネットで街や喫茶店について調べるなんてことはしません。
すると、いつかテレビで観たことのある名物スポットに出会うこともあれば、いまどき珍しい駄菓子屋さんに出会うこともある。赤提灯のぶら下がる雰囲気サイコーな大衆居酒屋を見つけることも。もちろん、なんにも見つからないことだって多々あります。
スターバックスやタリーズ、プロントにドトール、サンマルク、エクセルシオール……もしかしたらコンビニよりも多いのではないかと感じてしまうくらいにどこの街にもカフェはあふれています。ぼく自身もそれらのカフェをよく利用するけれど、喫茶店とは何かが違う。喫茶店とカフェとでは求めているものが違うのだと感じています。
なんの商売をしているかまったく分からない地元の化粧の濃いオバちゃん。いつからそこに鎮座しているのか分からない色褪せたピンク電話。誰かが忘れていったであろう山積みの文庫本。全席禁煙のカフェも多いなか当然のように全てのテーブルに置いてある灰皿。すっかり頭の後退したマスターのおっちゃん。そして、おっちゃんが丁寧に淹れた美味しいコーヒー。
その場所にはそのお店だけの歴史の蓄積が垣間見えるような気がします。コンセプトカフェとは一線を画した一方的なプロダクトアウト感。「ウチはこういうコーヒーだから」と何十年と変わらないであろうコーヒーの淹れ方。ジモトーク全開のいつものお客さんとマスターのとめどない会話。そんな喫茶店の雰囲気が大好きです。
先日、たまたま訪れたのは阿佐ヶ谷の喫茶店「珈司(こおし)」(写真)。
BGMのかからないそのお店では、何十年と通っているだろうお客さんとマスターの会話がBGM代わりです。近所の美味しいマッコリが飲める居酒屋の話と、歳を重ねて起きる時間が極端に早くなったという話だけで小一時間話し込んでいます。それがいい。
会計の時に少しだけマスターのおっちゃんと話をしました。なんとこの場所でお店を続けて38年になるそう。
「東京は建物の建て壊しのサイクルが早いからね。こんなに長々とやっているお店もそうそうないよ」
「ぼくが身体でも壊したらいつでもお店をたたむんだけどねぇ。でも、常連さんがたくさんいるからなかなかやめられないんだ」
そう語るおっちゃんの顔には哀愁と執着がにじみ出ている。そんなマスターとのなにげない会話が楽しみのひとつだったりするのが喫茶店巡りの醍醐味。
吉田拓郎の「青春の詩」みたいに、喫茶店に彼女と二人で入ってコーヒーを注文するような青春の時代をぼくは生きてはいないけれど、やっぱり喫茶店が好きだ。
むさ苦しい男二人でコーヒー&シガレットもなかなかオツだ(と勘違いしている)けれど、ディープな喫茶店巡りと街歩きをメインにした小規模なツアー(特に中央線界隈)なんかもやってみたいな。
喫茶店で知り合ったおっちゃんと盛り上がって、そのまま彼が通う行きつけの居酒屋に連れて行ってもらうなんてのが密かな夢です。