リーバイス505と父からもらったベルト

photo via Michael O'Rourke

気づけば10年以上履いているジーンズがある。リーバイスの505。15歳の時にリーバイスのアウトレットストアで買った廉価品だ(った気がする)。

「サイズが丁度いいし、安いし」そんな理由でサクッと購入したものだ。購入時はリジッドだったそのジーンズも今やのっぺりと剥げ落ち、ポケットには穴が空き、決して見事とは言えないヒゲが申し訳なさそうに浮き出ている。すっかりウエストのゆとりは無くなってしまい、ここ一番の機会で履くことはもうないのだけれど、今でもちょっとした外出に活躍してくれる10年選手だ。

流行り廃れのあるモノよりも、10年20年と使い続けることのできるモノを出来るだけ選んで丁寧に使おうとしているものの、粋なエイジングをまとったモノに囲まれた生活は一切していない自分(25歳)。パンツも靴下もヒートテックも、ユニクロ様にはいつも大変お世話になっております。背伸びして購入したGANZOの長財布が10年選手になるのはまだまだ当分先だ。

いつか生まれる(だろうと信じたい)自分の息子(娘)に受け継ぎたいと思えるモノを持ちたいと思いながらも、今だ何一つ持っていないのが現状。

ただ、自分自身は父から受け継いだものがある。どこのブランドかさえ分からない安物の茶色のベルト。

「お父さんが高校生の時から使っとったベルトだもんで」そのベルトを見ると父はいつも嬉しそうにそう言う。

バックルは錆びていて、革はクタクタ、穴はガバガバ、リサイクルショップでは買い取ってもらえないくらいに薄汚れている。父からもらった当初はサイズが合っておらず、ベルトの役割を果たしてくれなかった。

ベルトが存在していたことすら忘れていたのだけれど、正月の帰省時に押入れの奥からたまたま見つけることができた。

ベルトループに通してみると、嬉しいのか悲しいのかサイズはぴったりだ。リーバイス505のウエストのゆとりだってすっかり無くなったのだから、オトナになるってそういうことだ。色の剥げ落ちたリーバイスとクタクタの茶色いベルトはとても似合っていて、なんだか嬉しくなった。

大金をはたいて買ったわけでもないし、お気に入りのデザインでもない。だけど、妙に手放せないモノもある。

気づいた時には側にあって、いつしか大切なモノになっている。