お隣さんに畑をお借りして無農薬で野菜を育ててみたり、夜明けの日本海を攻めて魚を釣ったり。狩猟免許を取得してシカを獲っては解体したり、山の中を走り回ったり。
せっかく西粟倉村という田舎で生活しているんだったら人生ネタづくり。失敗しても経験になるんだから何をやってもプラス。だったら、とりあえずチャレンジや!という気持ちで自然と遊んでいます。
それらの遊びを通して、自分は「体験を通して物事の過程を知りたい」んだなということが分かりました。そして、その欲求が材木屋の仕事ともつながっているなと感じるようになりました。
スーパーマーケットの野菜売り場に並ぶオクラは、いつも色や大きさがきれいに揃っています。手に取って確かめるのは「産地は何処か」「値段はいくらか」「新鮮かどうか」程度です。
一方、畑でオクラを育ててみると、色と大きさを揃えて均一に出荷することがいかに大変かよく分かります。オクラって、ちょっと見ないうちにあっという間に大きくなるんですよね。成長し過ぎたオクラは固くて美味しくありません。
そして恥ずかしながら、オクラってこんなふうに実がなるんだなと育ててみて初めて知ったのでした。
精肉売り場に並ぶ鶏肉や豚肉だってそう。「国産か外国産か」「100gあたりの値段はいくらか」「こっちのパックよりあっちのパックの方が美味しそうだな」そんなことを買い物カゴを抱えながら考えます。
けれど、「生き物を解体して肉にする」作業って本当に大変です。山に入って罠を仕掛けてシカを獲る。心臓を止めて、ナイフを通し腹を捌く。そこには内臓があり、血がめぐっています。
精肉売り場でパック詰めされた冷たい肉と違い、さっきまで生きていた肉の塊が人肌に温かいという当たり前の事実に驚きます。
コストパフォーマンスという観点から考えると、畑で野菜を育てて食べたり、山に入りシカを獲り解体して食べることは、つくづく効率が悪いなと感じます。スーパーマーケットで買った方が断然安い。
けれど、物事の過程を知るにはその非効率の中を潜ってみることでしか経験できないということも分かりました。
近所のおばちゃんが育てた野菜を食べてみても見えなかったことが、自分で育ててみて、少しだけ見えるようになりました。友達が解体するシカを眺めていても知らなかったことが、自分で肉にすることで、少しだけ知ることができました。
ただ金を払って消費する側から、少しだけ生産する側に寄ってみることでしか得られない喜びがあるでしょ。それをコストパフォーマンスや非効率といった言葉で片付けてしまうのはもったいないでしょ。
お客さんを西粟倉村にお招きして、ぼくたち材木屋の工場を案内したり、山をご案内したりする機会が多くあります。
「こんなに手間のかかる作業だなんて知らなかったので勉強になりました」
「実際にモノをつくっている現場を見せてもらえたので安心して使えます」
スタッフが毎日一生懸命に木と向き合ってつくる製品の製造過程を見ていただくと、お客さんからこんな嬉しいコメントをいただきます。
正直に申し上げると、すぎやひのきは日本中どこでも生えています。残念ながら、西粟倉村は木材のブランド産地ではありません。超大型工場のように大量生産&最安値のモノづくりはできないし、納期でお待たせしてしまうことも多々あります。
それでも、ウチから買って下さい!と声を大にして言いたいんです。
山々に囲まれた工場。その森から伐り出された丸太。ひとつひとつの製品をつくり続けるモノづくりの現場。手を動かし汗を流すつくり手の顔。
それら全部、ここにあるからです。モノづくりの過程を体験を通して知ることができる場所だからです。
「木材の最短納期は50年です」と冗談でお客さんに伝えることがあります。
50年以上前に植えた木があって、何世代もの人の手によって手入れをされて、時間をかけて大きくなってはじめて木材として使うことができます。
「だから無垢は高いんですよ」「だから大切に使ってください」なんておこがましいことが言いたいのではなくて、どこか頭の片隅にその真実が残ったら嬉しいなと思っています。
スーパーマーケットに並ぶことのできなかった野菜が畑にたくさんあること、解体したばかりのシカの肉が人肌に温かいこと。それらと同じように、木材から森づくりの時間を想起してもらいたい。そんなモノづくりをぼくらはしたいなと思っています。
それは、コストパフォーマンスでは測ることのできない大切なこと。インターネットで翌日にモノが届く時代だからこそ、その遠回りが必要不可欠だ。というのはちょっと言い過ぎですかね。