命を削ってまで通勤したくないし、できれば昼ごはんは家に帰って食べたいから職住近接で働きたい

photo via memories of time

ふと通勤時間について考える機会がありました。3年前、東京で働いていた時といま現在、西粟倉村での通勤時間を比べてみることに。

さすれば発覚、職場と住居が近い「職住近接」の働き方から生まれる時間の解放ってすんごいわ!

移動にどれくらいの時間をかけてる?

東京で働いていた頃は、自宅があった国分寺市から職場があった新宿駅まで毎日のように満員電車に揺られては片道1時間・往復2時間の通勤をしていました。本すら読めない中央線の満員電車。精神を削られないためにわざわざ時間をずらしたり鈍行に乗ったりしたものです。

 

いま現在、働いている西粟倉村では、自宅〜職場間は車で5分もかかりません。せいぜい3分。歩いても10分。距離にして1kmの超好立地。

だから、昼休憩になったら自宅に戻り、畑で野菜を摘んで昼ごはんをつくって食べることができます。今日はマイ畑でオクラとズッキーニを摘んで炒めて食った。向かいのおばちゃんからおおきなナスもいただきました。昼ごはんを食べ、ソファに寝転んで15分の仮眠をして会社に戻る、なんてこともできてしまう。なんだよコレ幸せかよ。

うちの会社は30人弱のちいさな会社だけど、ほとんどのスタッフが車で15分圏内から通っています。遠くても車で30分くらい。スタッフの半数は昼休憩には家に帰っています。ヒルナンデスでも観ながらお昼ごはんを食べているんでしょう。

1日で2時間の通勤=480時間/年

東京時代と西粟倉での通勤時間を比較してみました。

東 京:往復2時間*20営業日/月*12ヶ月/年=480時間

西粟倉:往復10分*20営業日/月*12ヶ月/年=2,400分=40時間

 

つまり、東京時代は今よりも自宅〜会社間の移動に12倍もの時間をかけていたということ!それは1年で440時間もの差になるらしい。日数にするとなんと18日。自宅と会社を往復するだけにこんなに時間を使ってたのかよ、となんだか損した気分になってしまいました。

 

1年で440時間あったら、本が100冊以上は読めるし、週に3回はジムでトレーニングができるし、2−3日に1回は仕事終わりに買い物に出かけてちゃんとごはんをつくることもできるでしょう。18日をめいいっぱい使って長期旅行にも行けるかも!!

 

…なんて妄想は広がるけれど、ここは田舎のちいさな村。本を読む時間を設定しておかないとなかなか読書は捗らないし、最寄りのジムに行くまでに車で30分以上かかるし、出張へ出かける朝にコンビニでサンドイッチとコーヒーを買っては運転しながら朝食を済ますなんてこともあります。なかなかうまくいかないもんで18日間の旅行なんて夢のまた夢。

 

田舎で生活すれば「ゆたかな暮らし」が手に入るわけでもないし、田舎=ユートピアなんて絶対にありえない。田舎だって都会と一緒でなかなかたいへんなのだ。でも、なにより職住近接を実現しやすいのも田舎だったりもする。

命を削って通勤なんかしたくない

つい最近、「何かに時間を使うということは、限りある命を削るということだよ」と勉強をさせてもらいました。ズシン。

俺は24時間365日、何のために命を削っているのだろうか。少なくとも移動することに無駄に命を削りたかないよ、あたしゃ。

 

どうせ命を削るなら、満員電車で大して興味もない他人のSNSタイムラインを眺めているよりも、俺は本を読みたい、山を走りたい。

どうせ命を削るなら、高い家賃を払い繁華街に住んで外食生活をするよりも、自分で畑を耕し狩猟をし、自分でつくって食べる手間を噛み締めたい。

どうせ命を削るなら、誰がやっても同じ仕事を繰り返すよりも、死ぬ時にゃ自分だからできた仕事だわって胸に抱えて棺の中に入りたい。って流石にかっこつけ過ぎか。

 

職住近接生活がしたくて西粟倉村に来たわけでは決してなかったけれど、思わぬ収穫だったのが通勤時間の大幅削減だったのでした。

とはいうものの、浮いた440時間でお前何してんだヨって言われると頭をひねってしまう。あれ。