キンキンに冷えたリポビタンD

Komaya

 

訪れたことのない土地に足を運ぶのはいつだってワクワクするもの。最近では出張で東北に訪れる機会が多くなった。

社会人になるまで埼玉県以北に訪れたことのなかった愛知県民にとって東北はまったくもって未開の地。そこで触れるであろう景色や食や人を想像し、心躍る出張前夜も少なくない。(強がりかもしれないけれど)東北の寒さにもようやく慣れてきたところだ。

 

出張での楽しみのひとつが宿泊先選び。全国展開・画一化された安心・安全なサービスのビジネスホテルに宿泊する日もあるのだけれど、できるかぎり家族経営の民宿や旅館を探しては宿泊している。

地域に根ざして宿を経営するおかあさんから土地のことを伺ったり、風呂にたまたま居合わせたおっちゃんと他愛もない話をすることがちいさな楽しみだ。カビ臭い布団に鼻をしかめることもあるし、お風呂に石鹸一つなくて悶絶することもあるけれど、それもまた醍醐味。

 

なかでも印象的だったのが秋田・大館の小さな民宿。一泊朝食付きで2500円という破格料金もさることながら、民宿を一人で切り盛りするおかあさんがとてもチャーミングな方だった。

歯ブラシも髭剃りも置いていない。24時間いつでもシャワーを浴びることはできない。もちろんベッドはなくて敷布団。けれど、それ以上におかあさんの心遣いに嬉しい気持ちになるし、なにげない会話がどうしようもなく楽しいのだ。

 

御年74歳のおかあさんはいつも笑う時に口に手を添える。笑った時に見える金歯が恥ずかしいのだと言う。チャーミングで可愛い金歯じゃないですか、と言うと「んなこと言っても恥ずかしいモンは恥ずかしいのよ」とまた手で口を隠す。その仕草もまたやっぱりチャーミングだ。

 

お風呂はウチの狭いお風呂に入るんじゃなくて、近くにいい温泉があるからそこに入りなさいと手書きの地図付きでおすすめしてくれた。秋田の名物を食べるならウチのごはんじゃなくて駅前のあのお店に行きなさいとまで教えてくれた。利益度外視のやさしさ。

朝食には食べきれないくらいのおかずが並んだ。朝食に鮎の塩焼きを食べたのはこれがはじめてだ。丼にこんもりと盛られた白米は秋田だけあって美味しい。けれど、量がとてつもなく多い。おかあさん、こんなに食べられないです、ごめんなさいと言うと「田舎っちゅうのは食べきれんくらいごはんを出すモンだから残してもいいのよ」と言いながらせっせとお茶をついでくれた。

夜には同じく宿泊していた建設現場作業員のおっちゃんらと晩酌。民宿に備え付けられたカラオケ機で缶ビール片手に加山雄三と吉田拓郎を歌った。おかあさんは「わたすは音痴だから」と決して歌うことはなかったのだけれど、誰が歌っても最後まで手拍子を叩き続けていた。

 

おかあさんは民宿をはじめて30年近くになるそうだが、それまでは一度も民宿や旅館で働いたこともなく、文字通りの手探り状態で民宿をはじめたのだそうだ。料理もふだん自分が食べているものしか出すことはできないし、おもてなしの心もよく分からないと言っていたけれど、ぼくがおかあさんにしてもらったことは間違いなくおもてなしの心がたくさん詰まっていた。だからこうしてしっかりと思い出に刻まれている。

 

Komaya room

 

宿泊最終日の朝、相変わらずの寒さの中、相変わらず盛りだくさんの朝食をお腹に押し込んだ。二日目の朝食には、要望に応えてくれて鶏の唐揚げとわらびのおひたしが用意されていた。わらびは昨日、知り合いの方が採ってきてくれたものだと言う。

 

荷物をまとめ、二泊分の会計を済ませ、お礼を言うと、

「おにいさん、タオルかジュース、どっちがいい?」

突然の質問にわけも分からず「じゃあ、ジュースで」と答えた。手渡されたのはキンキンに冷えたリポビタンD。

 

「おかあさん、リポビタンDはジュースじゃないですよ」

「わたすには、お茶とお酒以外はぜんぶジュースみてぇなもんだから」

いつものように金歯を手で隠しながらニコニコといつまでも笑っていた。タオルと答えたらいったい何をくれたのだろう。

 

「出張で大館に来たら必ずまた泊まりにきますね」

 「それまで生きてるかわかんねえけども」

冗談とも本気とも付かないもの言いだけれど、きっと次会う時も金歯を手で隠しながらニコニコと笑ってくれるだろう。

 

 おかあさんが車が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていたのはバックミラー越しにしっかりと見えた。

キンキンに冷えたリポビタンDはいつもより美味しくて身体に染みわたった気がした。