【村上春樹 職業としての小説家】ランナー歴30年の小説家の人生におけるランニングとは

村上春樹の自伝的エッセイ「職業としての小説家」を読みました。

ブックオフでふと目について購入したものの、しばらく積読になっていたので休日に一気読み。

350P弱だったので3時間程度で読めました。

村上春樹作品はファンと言えないまでも、小説は一通り読んでいます。

長編小説はもちろんですが、特に「走ることについて語るときに僕の語ること」がお気に入り。

市民ランナーとして30年以上にも渡り、ひたすらに走り続ける小説家ランナーとしての村上春樹が大好きです。

走ることは、とにかくやらなくちゃならないこと

完全にランナー目線になってしまうのですが、「職業としての小説家」を読んでみて面白かったのは以下のポイントです。

職業的小説家でありながら、30年以上走り続けている村上春樹は走ることをどう位置づけているのかが印象的でした。

村上春樹は以下のように語っています。

走るという行為が、いくつかの「僕がこの人生においてやらなくてはならないものごと」の内容を、具体的に簡潔に表象しているような気がしたからです。(中略)

「今日はけっこう身体がきついな。あまり走りたくないな」と思うときでも、「これは僕の人生にとってとにかくやらなくちゃならないことなんだ」と自分に言い聞かせて、ほとんど理屈抜きで走りました。

その文句は今でも、僕にとってひとつのマントラみたいになっています。「これは僕の人生にとってとにかくやらなくちゃならないことなんだ」というのが。

村上春樹が毎日1時間・平均10kmの距離を走る生活を30年以上続けている話は有名です。

冬にはフルマラソン、夏にはトライアスロンの大会に出場しているそう。

決して早いとは言えない30歳で小説家デビュー。

33歳でランニングを始め、ランニング歴30年以上。

御年なんと69歳。

健康維持のため、生活リズムをつくるため、運動した方が執筆が捗るため、走り続ける理由はいくらでも挙げられるでしょう。

もう立派なおじいちゃん(って感じしないくらい若いですね)にも関わらず、「これは僕の人生にとってとにかくやらなくちゃならないことなんだ」と強迫観念のようなものを抱えながら走り続けていることに非常に驚きました。

瞬間的には苦しいけど、総じて前に進むランニングが楽しい

自分自身、日頃の運動不足を解消しようとゆるゆるとマラソンを始めて7年。

山を走る楽しさに目覚めトレイルランニングを始めて5年。ランニングは一番の趣味になりました。

でも、走ること自体は瞬間的に一部を切り取ってみると、大体がしんどいものです。

「今日は走りたくないな」と思うことだってしょっちゅうあるし、走っている最中は「次の電信柱まで行ったら歩こう」「お腹痛い脚痛い苦しい辛い止まりたい」と顔をぐしゃぐしゃにしながら走っています。

「こんなレースもう二度と出るもんか」とレース中に散々苦しんでも、レースを終え、全身バキバキの筋肉痛になった身体をさすりながら「また来年も出たいな」「次はもっと長い距離に挑戦してみたいな」と思えるんだからランニングって不思議なものです。

小中学生の時、短距離走が遅いことが小さなコンプレックスでした。

でも、長距離だけは得意でした。

少年サッカーのコーチに「お前は走るのは遅いけど、走り続けるガッツだけはある」と言ってもらえたことは今でも支えになっています。

瞬間的な速さは自分にはないけれど、「苦しくても我慢し続けて止まらなかったら大丈夫」という長距離走=マラソンの性質は自分に合っていたんだなと思います。

苦しみの先にゴールがあると分かっていたら辛抱強く頑張れる性格と言ったら自分のことを流石に持ち上げすぎですかね。

年齢を重ねても、鍛錬を続ければもっと長く速く走れるようになることも自分にとっては走り続ける理由になっているのかもしれません。

この先おじさんになっても「今の俺が一番走れるゼ」と胸を張りたいもんです。

「職業としての小説家」を読んで、総じて自分は走るという行為が好きだし、性に合っているんだなと思えたのでした。

それに気づけたのはとても幸せなことです。

休日の読書でまったりした気分に浸っていたけれど、村上春樹も毎日走ってるんだと思ったらなんだか走らなくちゃいけない気がしてしまい(単純)、急遽10kmラン

BGMは今回の小説にも登場するビーチボーイズ。

村上春樹効果でいつもより良いペースで走ることができました。

走行ペースは4:08/km。

このペースを続けたら目標のフルマラソン・サブ3(3時間切り)だけど、まだまだ先は長そうです(ぜえぜえ)。