手の温度が伝わるおすそ分けの方法とは

コンコン、と窓がノックされ(我が家にはインターホンがない)、「おーい」と声がかかる。はーい。いま行きます。

 

「今年もブドウ出来たであげるわ」

「あんま大っきないけど、おやつに一人で食べる分にはええじゃろ」

ということで、向かいのおばちゃんお手製のマスカットをいただきました。ネオ・マスカットという岡山発の品種です。小ぶりだけど、はちきれんばかりに実が詰まっています。ぷりっぷり。

 

ちょうど1年前にもこんなブログを書いていて、おばちゃんから立派な巨峰をもらっていたのでした。本当にもらってばかりだな自分。

向かいのおばちゃんが育てたネオマスカット。畑まで徒歩二分の産地直送感すごい #マスカット #西粟倉

ハダトモヒロさん(@hada_tomohiro)がシェアした投稿 –

コンコン。おばちゃん再登場。

「ごめんごめん、忘れとった」「これ、アスパラ。要るじゃろ?」

はい勿論ですいつも有難うございますいただいてばかりですいません。

 

アスパラガスは毎週のように買うと話したことをおばちゃんは覚えてくれていて、いつもたくさんのアスパラを分けてくれます。

「大っきなりすぎて硬いのは避けてくれてええでな」がアスパラを分けてくれるときのおばちゃんの口癖。

 

「ブドウもアスパラも不格好でごめんな」とおばちゃんは言うんだけど、ブドウはきれいに洗ってあるし途中で落っこちた実なんて一つもない。

アスパラは長さを切り揃え、湿らせた新聞紙に包まれています。「こうしておけばアスパラは痛みにくいんじゃ」。

 

「ハダくんは一人モンじゃであんまり大きいブドウ渡しても困るわな」

「ハダくんは出張でいないことも多いけん、すぐ食べんかもしれんじゃろ。アスパラは濡らした新聞に包んどったら痛みにくいんじゃ」

おばちゃんのおすそ分けには愛があるのだ。相手の好みを考えて何を渡すか考えてくれているし、相手の状況を想定して一手間を惜しまない。手渡すときの手はあたたかい。

以前、釣った大量の小アジをそのままビニル袋に突っ込んで、おばちゃんにホイッと渡した自分が恥ずかしいがな。

 

材木屋の営業マン、五里霧中・七転八倒の日々でございます。何を作るか。どう売るか。誰に届けるか。短期的な利益追求や仕事の効率化ばかりを考えてしまいがち。PCカチカチ、電話ペラペラが主な仕事。

そんななか「今ここにあるものを、どう手渡すか」を考えることの大切さをおばちゃんから諭された気がします。

 

自然素材という言葉を都合よく解釈してモノづくりから逃げていないか。「無垢材は自然なあたたかみがありますよ」と手渡す自分の手はあたたかいか。そこに愛はあるか。

木材を梱包するための段ボールは「梱包」という役割以上のことだって果たせるはずだし、キーボードを叩いて表れる文字に手の温度を込めることだってできるはず。丁寧な気持ちが入ったものはぜったいにあたたかい。

 

ネオ・マスカットは口の中でじゅわわっと溢れたのでした。そりゃ、美味しいに決まってる。愛は形じゃないのよってことですね。