「子どもの頃は、ウニやサザエを買うなんてことはなかったですねぇ」
丁寧に寿司を握りながらそう語るのは陸前高田出身の大将。
震災前は陸前高田市で寿司屋を営んでいたそうですが、現在は縁あって隣町・大船渡市にある「大船渡屋台村」で再起し出店しています。コの字型カウンターに丸イスが8席と小さなお店ですが、三陸で揚がった新鮮な魚介類と豊富な品揃えの日本酒が並んでいます。
「親戚や近所のひとたちがくれるんですよ。ウニやサザエは買うものではなく、いただくものでしたね」と大将は話を続けます。朝食にはとれたてのウニがまるまる乗っかったウニ丼をかきこんで小学校へ行く日もたびたびあったのだとか。漁師町ならではの贅沢な話です。
「でもね、それが毎日のように続けば誰だって飽きるもんですよ」と笑う大将が握る寿司がどれも美味しいのは、幼い頃から自然と鍛えられた味覚のおかげなのかもしれません。
「誕生日とか、おめでたい日には豚肉の入ったカレーを家で食べるんですよ。それが楽しみで楽しみで仕方なかったんです」
大将が幼い頃は町内に肉屋が1件しかなかったそうです。豚肉や牛肉はたいへん高価なもので、食卓にそれらが並ぶことはめったになかったとのこと。
「18歳ではじめて焼き肉を食べたんですよ。あの時の感動は忘れられないですねえ。こんな美味いものが世の中にあったんだ、って」そんな大将の大好物は子供の頃から変わることなくずっと「肉」。
大将の話を聞いて、思い浮かんだのは父の顔。
父は奥三河の山間の集落出身です。そこは海から遠く遠く離れた、山に囲まれた小さな集落。「海の魚なんてめったに食べさせてもらえんかった」という父の話を思い出しました。
父の集落では、大将のようにウニやサザエをもらうことはなかったけれど、ゆたかな山の幸を分け合っていました。
春先に生まれた子ヤギを貰い受け、飼育し、正月には大きくなったヤギを潰して食べていた(!)という話にはさすがに驚いたけれど、山菜シーズンになれば山菜とり名人が山菜をくれたり、つくり過ぎた米や野菜は分け合ったりとギブ&テイク。それは当たり前のように根ざした地域資源の循環方法だったのでしょう。
藻谷浩介氏の提唱する里山資本主義ではないけれど、隣人との関係性があってのはじめて成立するのが、おすそ分け。
せっせと寿司を握る大将を裏で支えていたパートのイトウさんも「いろんなものをいただけるってことは、それだけ周りの人達とちゃんと関係性があるってことの裏返しだからねぇ」とおっしゃっていました。
集落での生い立ちが起因したのかは分かりませんが、父は海釣りに夢中です。週末となればクロダイを狙って日本海へと車を走らせています。今や釣り好きが高じて釣り竿を自作するほどの趣味になってしまいました。
肉を食べたくてしょうがなかった寿司屋の大将と、すっかり海の虜になっている父。いつかは父と大船渡の大将のもとを訪れ、寿司をつまんでみたいと思ったのでした。