インターネットや攻略本には載っていない自分なりの試行錯誤の先のベストアンサー

いよいよ「Pokemon Go」が日本上陸っ!(ギリギリ)平成生まれの初代ポケモン世代としては、発売開始がとても楽しみです。スマホゲームにはさして興味はないけれど、やっぱりポケモンはベツモンなのである。

西粟倉村のような田舎にも果たしてレアポケモンは現れるのでしょうか…山の中にポケモンを探しに行ってもマムシやシカといったリアルモンスターに遭遇する確率の方が高そう。そう、この村にゃ「Pokemon Go」の提携店舗になる(らしい)マクドナルドもなければ、コンビニすらないのだ。

んで、ポケモンの話題をはじめ、スーファミとかゲームボーイとかニンテンドー64とか、友人と懐かしいゲームの話で盛り上がり、当時のことをいろいろと思い出したのでした。

 

初代ポケモン(赤・緑)が発売されたのが1996年、当時ワタクシ7歳。ぴちぴちの小学1年生。もう20年も経ったなんて衝撃的。兄は赤、ぼくは緑、と親に懇願しては近所のゲーム屋さんで予約して買ってもらいました。はじめて選んだポケモンはフシギダネ。後々使えないヤツだと分かった時は悲しかったネ。

当時のブームって本当にすごくて、みーんなポケモンをやってた。学校でもひたすらポケモンの話をして、学校が終わったらみんなで集まってまた一緒になってはポケモンばっかりやってた。通信ケーブルを持ってるヤツはヒエラルキーの上位だった。俺は持ってなかった。

ひたすらに狂ったようにポケモンをやり続けた。休みの日なんて朝から晩まで。「目ェ悪くなるワ」「馬鹿になるワ」と親に叱られ続けても、布団の中に潜り込んでは懐中電灯で照らしながらレベル上げに勤しんだ。それぐらいやらないと、はやく強くならないと、友達に勝てない。そのぐらいストイックにポケモンをやっていたのでした。そのストイックさを勉強やスポーツに生かしていたとしたら、こんなくだらない記事を書いてないでしょう。

 

当時はインターネットなんて無い時代だったので、ひとつのゲームを攻略するのにも、とにかく手探りだったことを思い出します。兄とお小遣いを出し合って本屋で予約までして買った攻略本が全然使えない内容だったり、友人の友人(のそのまた友人?)のガセネタを鵜呑みにして裏ワザに挑戦してみたらデータが吹っ飛んでしまい、ウマそうな話に便乗してしまった自分を後悔したり。兎にも角にも、自分で情報を取捨選択をしながらトライアル・アンド・エラーを繰り返すしかなかったのでした。

 

HPが高くて防御力のあるカビゴンで「どくどく&ねむる」のコンボにイライラしながら負けたり(でも自分がカビゴンを使うのはなんか嫌だったり)、とにかくスピード勝負のサンダースで「でんじは&かげぶんしん」に手も足も出せなかったり、あ、ケンタロスってそんなに使えるヤツだったのね、と気づいてサファリゾーンに捕まえに行ったり。

 

そして、いつしか俺のお気に入りのオムスターLv.100じゃ勝てねえんだってことに気づいたし(ライチュウも同じく)、好きなモンスターに好きな技を覚えさせてレベルを上げただけのパーティじゃ勝てないってことを痛感せざるを得ないわけで。

いろんな友達と対戦しては勝ったり負けたりしながら「じゃ、今度はこうやってみよう」「これならどうだ」と試行錯誤を繰り返し続けたのがポケモンだったし、それがゲームの醍醐味だったのかもしれません。

 

今日びインターネットで調べれば、攻略法だって簡単に見つかるし、裏ワザだってリスクなしで結果が分かる。便利&効率的ではあるのだけれど、それはまるで知っている道をわざわざグーグルマップでナビゲートをしてもらいながら進んでいくようなものなのかもしれません。答え合わせのダンジョンには未知との遭遇はない、きっと。だからこそ、自分で試行錯誤し続けた先のベストアンサーの発見にトンデモない喜びを感じることができたんだ、ゼッタイに。…なんて思うのは、ノスタルジックな自己肯定か。

でも、これって仕事も同じなんだよな。試行錯誤の先には手触り感のある知識と経験が身についているもの。納得感のないまま上司に教えられたり、ビジネス書から拾ったノウハウやライフハックには気持ちが乗りません。

 

ぷよぷよ通」で友達のニイチャンがとんでもない連鎖攻撃をしてくるんだけどいくら練習しても全然真似できなくて悔しい思いをしたり、「ドラゴンボールZ 超武闘伝2」でオープニング中に「上、X、下、B、L、Y、R、A」を20回入力できたら隠しキャラにサタンが出現すると信じて練習しまくったものの結局ガセだったり。そういうしょうもない試行錯誤の思い出も、今の自分を立派に形成しているのかもしれないと思ったのでした。

それにしても、20年前の初代ポケモンのCMが懐かしすぎて涙が出そう…