1年の3分の1は雨だから、淡い期待が土に馴染む

「おはようございます」

「おはようさんです」

「雨、続きますねぇ」

「そうですな。1年のうち、3分の1は雨じゃからなぁ」

向かいのオッチャンが挨拶がてらに言うもんだから、そんなに降るわけあるかいと調べてみたのでした。

 

すると、晴れの国(と自ら名乗る)岡山でも年間降水日数が100日近くもあるのです。降水日数のもっとも多い県では(どの県かご存知ですか?)年間200日近く。週に2日、雨が降ると考えると年間96日。まぁそんなもんかと思えば、そんな気がしてしまいます。

3日に1回は雨が降るんだと考えるだけで気持ちがどんよりしてしまうけれど、3日に1回はどんよりとした気持ちになってしまうと考えると無性にもったいないような気がしてくるのは貧乏性なのでしょうか。

 

「雨の日だからと言うて、わざわざ落ち込んどってもしゃあないですわ。明日はきっと晴れるでしょう」

なんて脳天気にのたまってくれればいいものの「今週はずっと天気が悪いようじゃな」とオッチャンはそそくさと家の中に入ってしまうもんだから思い通りにいかないもの。

明後日はついに雪も降るようじゃよ、と最後に丁寧に付け加えた週間天気予報。オッチャンの予報は毎回当たるので辛い。

 

ここまで天気に敏感になったのは、雨が降っても雪が降ってもやらないけんことがあるからで。夜が明けて空が白んできたら、家を飛び出し山に入って毎朝のルーティン。

 

新米ハンター、今日もマイ罠にはシカが掛かっておりませんでした確認をするのでした。いや、まだ1匹も捕ってないからハンターですらない。俺は米。

3日に1回は雨が降るというのに、3つ仕掛けた罠には1つとしてかからないから難しいもんで。天気と同じで自然はそう甘くありません。

 

雨は降るわ暗いわ寒いわ足元はぬかるむわ毎朝面倒だなと思いながらも、

「今日こそシカが掛かってるんじゃないか」

「イノシシが捕れてたらどうしよう」

と淡い期待を地面に埋めて、土やら落ち葉やらを乗せては目立たないように隠すのだけれど、どうやら自然はお見通しのようです。純情な感情は空回り。頼むから俺の期待を踏んでくれ。

 

そして今朝も「今日もシカは捕れんでした」とオッチャンに朝の業務報告。

ところが亀の甲より年の功。「雨が降れば人間の匂いも足跡も消えるで絶好のチャンスですな」なんて言ってくれるもんだから、どんよりとした気持ちがすっかり晴れわたったのでした。

3日に1回は俺の期待が土にうまく馴染んでくれるってことよ。オッチャンの予報は毎回当たるので期待。明日はきっと捕れるでしょう、さぁ踏め!