社会人になってから毎週末のお決まりの家事?として靴を磨くようになりました。決して高価な靴ではないけれど、ブラッシングして汚れを取り、シュークリームを塗ってつやが出るまで磨いて…と靴磨きを続けています。
靴を磨く行為はモノを長く大切に使うためという目的だけではなく、社会人(特に営業マン)の身だしなみのマナーとして語られることが多分にあります。靴の汚い営業マンは仕事で結果を出せないと言われることもしばしば。
ぼく自身にとって靴を磨く行為は、革靴を長く大切に使うためや社会人の身だしなみのマナー以外の意味があります。それは小学生時代(高学年)のある経験が大きく起因しています。
当時、サッカー少年だったぼくは、背は低く足のサイズも小さい子どもでした。
サッカーストライカーやワールドサッカーダイジェストといった専門雑誌をかじりつくように読んではサッカーショップの広告に目を輝かせていました。目的はスパイク(サッカーのシューズ)。憧れのサッカー選手と同じスパイクを履いたら自分も上手くなれるはずだと思い込みながら、紙面に並ぶスパイクを履いた自分を想像していたのです。
一方、靴のサイズは22cmにも及びません。つまり、子ども用サイズ。雑誌に載っているかっこいいスパイクはオトナ用。ぼくの足はプロサッカー選手が履いているスパイクの展開する規格サイズには及びませんでした。
当時は背が高くなることもよりも、足が大きくなることを強く望んでいたことを覚えています。あと1〜2cm足が大きくなればあのスパイクが履けるのに…そう思う日も少なくなかったはずです。
小学5年生になってようやく身長が伸びるとともに足のサイズは22.5cmになりました。日曜日の少年サッカークラブの練習後、名古屋のサッカー専門店・サントスへ父とともに買いに行ったことを今でも鮮明に覚えています。両親にねだり続け、誕生日プレゼントとして買ってもらったスパイクがアディダスのパティーク。当時の中村俊輔が愛用しているものでした。ぼくが買ったものは規格の最小サイズの23.5cm。自分の足には合っていない大きいサイズで、きつく縛った紐が地面に着いてしまうほどでした。
はじめてオトナのスパイクを手にしたその頃から、スパイクを磨く日々が始まりました。
当時、憧れだった同じ小学校の先輩(背が高く足も速くとてもサッカーが上手でした)が言っていた「スパイクは使う度に磨いたほうが足に馴染んでボールを扱いやすくなる」という言葉を鵜呑みにしたのです。スパイクを毎日磨く=スパイクが足に馴染む=サッカーが上達する、という方程式が成立したのでしょう。練習が終わっては玄関でスパイクを磨き、黒光りするパティークをうっとりしながら眺めたものでした。
すっかり汚れクタクタになった革靴を磨いていると、当時のことをよく思い出します。
毎日のように磨いたパティークを履くことでサッカーが上達したかどうかはもはや言うまでもありません…
スパイクを磨けばサッカーが上達するだなんてうまい話があるわけないのですが、靴を磨くという行為は、いつもの自分をいつもどおり発揮するための作業のひとつだったのではないかと感じます。
しっかりと睡眠をとること。朝ごはんをしっかり食べること。身体をあたためストレッチをすること。それらと同等に並ぶ大切な作業。睡眠不足で眠たいままでは集中力が持続しない。朝ごはんをしっかり食べなければ力が出ない。身体が冷えていては思うように動けない。同じように、汚いスパイクのままではなにかがちょっと違う。そして、しこりのような違和感が生じてしまう。
仕事も同じなのかもしれません。
いつもの自分をいつもどおり発揮する状態をどれだけ持続できるかが大切なのだと感じています。
「よし、今日もいつもどおりやろう」と思えるための条件を揃えること。
それは靴を磨くことからだって始められるのかもしれません。
月曜日、磨きたての靴の紐を結び、玄関をくぐるのはとても気持ちがいいものです。