あの街角の本屋さんは、全国の書店員さんの聖地

本を買うときはもっぱらAmazonさんにお世話になっております。

アスクル(明日来る)とまではいかないものの翌々日には届けてくれるし、お届け先を自宅に設定していても「ご自宅は留守だったので…」と会社にまで届けてくれるのが田舎クオリティ。

配達業者のドライバーさんには自宅も勤務先も(出身地まで!)当然のごとくバレています。コンビニでジャンプを立ち読みしていてもたいてい誰かに目撃されるし、Amazonさん経由でヘンなものも買えそうにありません。

 

東京で働いていたときは通勤時間やお昼休憩のスキマ時間にペラペラと本を開いては読んでいたのだけれど、自宅から会社まで車で二分(徒歩七分!)のような場所に住むようになって本を読む時間がすっかり減ってしまいました。せいぜい就寝前か週末くらいなもの。

死んだ魚の目をしてSNSを眺めているその五分で活字を追えよ!と頭では分かっているものの、右手の親指はスマートフォンの画面を下から上へとなぞってばかり。タイムラインはただただ流れるばかり。

 

もっと本を読もう週間!ということで、ちょっと早起きして本をペラペラ。洗濯物を回している間にペラペラ。トイレで用を足している間にペラ。

さぁ読むぞ〜!なんて意気込まなくても、身の回りに本があるだけですこしずつ読書も進むし、だんだんと活字を追うのが楽しくなってくるもんだから不思議なもので。だから読書はたのしいのだ。

teiyudo

と、その勢いのままに、鳥取に足を運んだついでにふらっと訪れたのが鳥取駅前の本屋・定有堂書店さん。

商店街の一角にあるなんの変哲もない街の本屋さんなのだけれど、どうやら全国の書店員さんが訪れる「聖地」だそうで、BRUTUSの本屋特集でも四ページにわたって掲載されたのだとか。

> 定有堂書店 本との縁 店主が「仲人」|読売新聞

 

鳥取におもしろい本屋がある、と何度か耳にしたことはあったものの、一度も訪れたことはなく今回はじめての入店。決して品揃えが良いわけではないのだけれど、「あ、この作者が好きなんだな」と思えるような本の並びだったり、POPの紹介文がひと癖もふた癖もあったり、SpectatorやBRUTUS、Penあたりのバックナンバーが揃えてあったり。ゼッタイに内田樹が好きなはず。

ちゃんと書店員さんが一冊ずつ読んで選んでいることが伝わってきて、また来たいなと思えるすてきな本屋さんでした。気づけば一時間弱の探索。しっかりと出会った本を脇に抱えて。

 

そして、鳥取駅に足早に向かいながら考えたのでした。

本って一人で読むものだからこそ「誰に薦められるか」や「どこで買うか」「いつ読むか」が大切なのだなと。使い古された安っぽい表現になってしまうのかもしれないけれど、すてきな本屋ですてきな本に出会えたモンだから、改めてそう思う。

 

仕事がうまくいかずに落ち込んでいるときに上司から渡された「小さな箱から脱出する方法」だったり、神保町の古本屋を巡り巡ってようやく見つけた宮本常一柳田國男だったり、夏休みにバアちゃん家の縁側に座り込んで読んだ三島由紀夫谷崎潤一郎だったり。

 

振り返ってみると、印象に残っている本って、印象的な出来事と重なっているのかなと思ったのでした。

Amazonはとても便利だしこれからもお世話になるのだけれど、貸してくれたあの人が塗ったマーカーも走り書きのメモも書かれていないし、一期一会の古本と出会うワクワク感もないし、もう一度読み返して目の前に浮かぶ景色もありません。ページ下部の機械的なリコメンドでは心は動かない。リアルな経験が本に紐付かないのだ。

 

だからこそ、テーマを決めて誰かと本を貸し借りしたり、勝手に本を贈りつけるブックテロなんかもやりたいな。もちろんテロもされたい。

chirorin

んで、定有堂書店で出会った一冊は「ちろりん村顛末記」。1970年代に琵琶湖畔に突如出現したソープランド街「ちろりん村」が舞台の風俗ルポ。悩みに悩んでいーちばん印象に残った本を買いました。まだ読みかけだけれど、次の頁をめくるのが楽しくて楽しくて布団の上でモソモソと読んでいる。雄琴は男の天国だっせ。いーちばんええことがある。