移住するならどっち?地方創生の最先端、島根の離島・海士町を訪れたので自分の暮らす里山・西粟倉村と比較してみた

メディアでは取り上げられない裏側、離島・海士町のリアルが見てみたい

日本最先端の離島とも言われる島根県の海士町。

島育ちの隠岐牛や岩牡蠣をブランド化しては外貨獲得に成功し、統廃合の危機に面した島唯一の高校は島外からの留学生が年々増え、今や人口2,400人弱のうち移住者が1割を越え、地方創生の成功事例とも呼べる地域です。

 

まるでサクセスストーリーのようですが、一方で島内にはスーパーやコンビニは1件もありません本州まではフェリーで片道3時間。「ないものはない」と宣言するものの、ふだんの生活や仕事って実際のところどうなの?と疑問はつきません。メディアで取り上げられない裏側、だけど、本当のことが知りたい!

ということで、森林率95%・人口1,500人の里山、西粟倉村(岡山)在住のハダが、離島・海士町を訪れ、里山・西粟倉村と比較してみました。

minato

海士町の玄関口・菱浦港と交流拠点施設「キンニャモニャセンター

海士町:本州(松江)からフェリーで3時間、最安2,920円
西粟倉:大阪まで車で2時間。岡山市内へも2時間

海士町という地域を聞いたことはあるけれど、実際はどこにあるのかよく知らないという方は少なくないでしょう。

日本海の島根半島・沖合約60kmに浮かぶ隠岐諸島、その島のひとつの中ノ島にあるのが海士町。鎌倉時代、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が島流しになって19年を過ごし没した島として有名です。

岡山県北・西粟倉村からは自動車・フェリーでの移動を合わせて5時間30分、総距離250km。5時間あれば新幹線で東京〜博多間を移動できることを考えると物理的にも精神的にも遠いですね。

海士町へ行くには本州(島根・松江)からフェリーに乗って3時間、片道2,920円(最安2等席)となかなかのもの。ですが、フェリーに揺られる船旅は非日常でテンションが上がりますよ(帰路はバッチリ酔いました)。

awakura-ama

西粟倉〜七類港まで車で2時間半、さらにフェリーで3時間

一方、西粟倉村は関西へのアクセスが◎です。

中国自動車道が通っているため、大阪まで車で2時間。姫路までは電車で1時間。村内には無料の鳥取自動車道・西粟倉ICがありますし、村内にはローカル線・智頭急行の駅が2つあります。

岡山県に位置する西粟倉村にも関わらず、岡山市内に出るには車で2時間かかります。岡山市民の方に「え、西粟倉って岡山だったんですか?」と驚かれることもしばしば。

ちなみに西粟倉から鳥取市内までは車で40分。週末、鳥取市内に買い物に出かければ高確率で村民に遭遇するくらい、鳥取は西粟倉村の生活圏です。

 

ちなみに、海士町も西粟倉村も、地域内の移動は車がないと非常に厳しいです。現地で案内してくれる人がいないようならばレンタカーを借りた方が楽しめるでしょう。

離島ゆえ「ないものはない」から「ないならつくる」海士町、
へ出れば大抵のものは手に入る里山・西粟倉村

朝一番のフェリーに揺られ3時間、海士町に到着したのがお昼過ぎ頃。

そして、さっそく食べたのが隠岐牛のローストビーフ丼。写真のシズル感どおり、抜群の美味しさでした。

okigyu

隠岐牛のローストビーフ丼「幻の贅沢丼」(隠岐牛店

隠岐牛はもちろん、お米や野菜まですべて島育ちの海士町産というこだわりっぷりです。ランチ限定10食とのことなので、フェリーの到着時間に合わせて事前予約しておくとよいかもしれません。

kaki

CAS凍結によって獲れたて鮮度の岩牡蠣・春香船渡来流亭

海士町は、隠岐牛やCAS凍結をした岩牡蠣や白イカなど「島の食」のPRに非常に力を入れている印象でした。港に直結したキンニャモニャセンターでは、観光客向けに海産物や野菜、お米や加工品などが販売されています。島じゃ常識さざえカレーも有名ですね。

 

人口2,400人弱にも関わらず、宿泊施設や飲食店は多く、泊まる場所や食べる場所にはまったく困りませんでした。定食屋に喫茶店、お寿司に中華、おまけにイタリアンとよりどりみどり。島だけあって魚はもちろん新鮮で美味しい。

himono

宿泊した「お泊り処 なかむら」の朝食。干物とお米が抜群に美味しい

海士町にはスーパーやコンビニがないので、ふだんの生活に大きな影響が出そうです。

宿泊した宿の隣りに商店があったので覗いてみたのですが、離島ゆえの物流コストなのか消費量が小さいからなのか、物価が全体的に高い。

ふつうのカップラーメンが200円を越えるし、牛肉や豚肉は基本的に冷凍モノ。品揃えも大型スーパーとは比べ物になりません。夕方にはお店は閉まってしまいますし、日曜日はまさかのお休み。こりゃ大変だ。

 

「島に無いものはインターネットで買えばいいけど、島にはしっかりとお金を落としたいね」

「モノが無いなら無いなりに意外と何とかなるもんだよ」

と海士町に家族で移住したばかりの知人(学生時代の勤務先の元上司)は逞しい一言。最近、サザエ取りとアジ釣りをはじめたようです。魚用の鱗取りと出刃包丁をプレゼントしたらとても喜んでくれました。

awakurando

休日は観光客の出入りも多い西粟倉村の道の駅「あわくらんど

一方、西粟倉村。圧倒的に弱いのはとにかく食!

道の駅やランチバイキングはあるものの、それらは観光客向け。メイド・イン・西粟倉を代表するような食べ物はほとんどありませんし、観光客向けの八百屋さんには鳥取県産のスイカやら梨やらがずらーっと並びます。

独身移住者の立場からすると、村民がふだん使いするようなコスパ◎なごはん屋さんがないのが悩みどころ。ランチにさっと食べられるラーメン屋さんが切実に欲しいっス。けれど、車で10分走ればコンビニもあるし、30分走れば大型スーパーもあるのでふだんの生活には意外と困りません。

nasu

海士町で無農薬野菜やニワトリを育てる「Müller’s Farm」の特大ナス

「気軽に本土に行けるわけじゃないし、島の中で生きていかざるをえないから、無いものは無いなりに自分たちでつくろうとする気概があるのかもしれないね」と。なるほど!

西粟倉村は宿場町と宿場町の間の街道筋に位置する村。昔から人が絶えず行き来しており流通するモノも多かったため、自分たちでモノをつくるのが下手なんだという意見を聞いたことがありました。

西粟倉村自体は不便でも街へと移動すれば大抵のものは手に入ります。しかし、海士町は離島ゆえの制限があるからこそ、ないものは自分たちでつくる風土があるのかもしれません。

okiya

島の女神がお産をしたという伝説が残る海士町の明屋海岸

離島・海士町も里山・西粟倉村も「見て、食べて、買う」観光地ではなくて、ひとに会いに行くのが断然おもしろい

今回の海士町訪問では知人の案内もあり、島内のさまざまな場所を訪れることができました。一人でふらっと出掛けたとしたら、経験できなかったことや学べなかったことばかり

火葬後の故人の遺骨を自然散骨する無人島・カズラ島や、移住者の住居としてこの10年で100棟近く建てられた町営住宅、島のコミュニティスペース・あまマーレなどがその例。

amamare

あまマーレ内の古道具屋では、空き家改修時に発生した家具や食器を格安購入できる

海士町は、いわゆる観光地にありがちな「見て・食べて・買って」だけでは物足りない地域です。そこで実際に暮らすひと・働くひとの話を聞いて「学んで・深める」ことが断然おもしろいと感じたのでした。

これって西粟倉村も一緒だと思うんです。

nanba

西粟倉村北部にある100年生を越える杉の人工林。かつてタタラ場だった

西粟倉村も海士町と同じように、「見て・食べて・買って」だけでは、おもしろみが足りません。ランチバイキングでたらふく食べて、原生林を散策して、温泉に浸かって終わり、じゃもったいない。買って帰るモノも(残念ながら)たいしてありません。

けっして良い話だけでは片付けることのできない小さな村の歴史と変遷、訪れた瞬間だけでは分からない自然の移ろい、村で生きるひとの暮らしの営みこそが魅力だと思うんです。

 

「いま何かがある」ことよりも「なぜそうなったのか」に大切なことが詰まっています。そこには必ず酸いも甘いも、清も濁もあるから。

メディアが切り取るサクセスストーリーに起承転結はあるかもしれないけれど、その土地の当事者たちの喜怒哀楽は見えるはずもありません。

mitsumata

間伐された人工林に咲くミツマタは高級和紙や紙幣の原料になる(西粟倉村)

仕事柄、村を案内することも多いのですが、理解したつもりで実は上澄みしかすくっていないことってたくさんあるなと反省したのでした。自分が50%しか理解していないことは、きっと相手にはその半分も伝わらないはずだから。

西粟倉村には高校がないため15歳以上は村外流出する一方、海士町の島前高校には島外からの留学生が年々増えている

教育面で決定的なのは海士町には高校があるが、西粟倉村にはないこと。西粟倉村には中学校までしかないので、ほとんどの高校生は村外へ出て、寮生活をすることになります。つまり15歳以上はほぼいなくなる。

海士町の先進的な取り組みの一つでもある島前高校魅力化プロジェクトは有名ですが、それだけではありません。「グローカル人材の育成」を目指して設立された島の公立塾・隠岐國学習センターには、日曜日にも関わらず、高校生たちが勉強に励んでいました。

「なんか手伝えることないですか?」と上司の勤務先にふらっと高校生が遊びに来ることもあるようで。地元民やUIターン者と地域の中高生が自然と接する機会があるって素晴らしいなと思ったのでした。教育への投資は確実に未来のひとづくりにつながるし、地域との接点は「こんなふうに生きてもいいんだ」と生き方の多様性を知るきっかけになるんでしょうね。

 

自分が中高生の時はそんな機会の重要性なんて知る良しもなく「少しでもレベルの高い高校・大学へ進学して、誰もが知っている大企業で働くこと」が幸せの最短経路だと信じていたもので。んなわけあるかい!と気づいたのは大学に入ってからだったのでした。

 

西粟倉村でも海士町でも共通して感動したのは、子どもたちが知らない大人(ハダ)にもきちんと「おはようございます」と挨拶してくれること。これ、当たり前のようだけれど、すごいことですよね。

miokuri

フェリーが出港する際、船が見えなくなるまで手を振ってお見送りしてくれました

「いつか一緒に海士町に行きましょうね」の口約束は、想像もしていなかったかたちで7年後に実現した

たかが1泊2日の小旅行だったけれど、自分が暮らす里山・西粟倉村と照らし合わせながら、離島との類似や差異を確かめては楽しむことができました。次は2泊3日とアジ釣りやサザエ取りでもしながら、夜は飲み歩いて朝は走って…なんてことをしてみたい。

 

海士町をはじめて知ったのが7年前、20歳の時でした。いま暮らしている西粟倉村のことをはじめて知ったのと同じタイミング。その時に思った「いつか海士町を訪れてみたいな」の「いつか」はずいぶん先となる7年後だったわけですが、このタイミングで訪れることができて良かったと思うんです。

その時はまったく想像もしていなかったけれど、気づけば地元・愛知や東京を離れ、縁もゆかりもない里山・西粟倉村で暮らすようになりました。材木屋で働きながら木を売って、週末は山を走って、そんな日々。

そして、海士町のことをはじめて知った20歳の時に一緒に働いていた上司もまた海士町に移住しては島暮らしをしている。

 

上司との「いつか一緒に海士町に行きましょうね」の口約束は7年後に、ちょっと変わったかたちで実現したのでした。

しかも、西粟倉村をはじめて訪れた時もその上司が隣にいたのだから驚きです。彼の家で酒を飲みながらふと思い出したのだけれど、こっ恥ずかしくて言えなかったわけで。

人生って分からないモンです。でも、だからこそ、おもしろいんだな。

西粟倉村が2004年に「市町村合併をしない」と決めて10年、日々の積み重ねの先にある現在までの10年間をぎゅっと詰め込んだ動画を最後にご紹介。これがおらが村なのであるよ!

最近ではメイド・イン・西粟倉な商品も増えてきました。

西粟倉村で獲れたシカ肉はふるさと納税で手に入れることができますよ。

そして海士町と言えばさざえカレー!島で獲れたサザエがたっぷりのカレーです。

想像以上に美味しいのでぜひお試しあれ。