筆箱、いや失敬、ペンケースといふものは中高生にとっての重要なおしゃれアイテム(もとい自意識と自己主張)の一つだった。と、中学を卒業して、十年にもなろう年齡になって改めて思うのです。
小学生の延長線上にあったプーマやアディダスといったスポーツブランドの布製ペンケースは中一で卒業し、中二になってからはアルミ製の缶のペンケースを使うようになりました。
それは、紛れも無く二つ年上の兄の影響。ピカピカの新品ではこっ恥ずかしくて、わざと紙やすりで削ったり机の角にぶつけたりしてエイジング感(死)を表現しようと勤しんだりしたもので。兄のペンケースのフタの裏にいくつも貼ってあるプリクラがずいぶんとオトナに見えたし、貼ってあるプリクラの数が多ければ多いほど、友達が多いことの証明のように見えたのでした。
中一の時にはじめて「ザ・ビートルズ1」を聴いてビートルズのメロディに感動したのも、ゴーイングステディの「さくらの唄」を聴いて青臭い歌詞とデタラメな叫声にグワシッと心を揺さぶられ涙流したのも、やっぱり兄の影響だったわけです。ハマっていたインディーズバンドがメジャーデビューしてしまったら、とたんに聴くことすら嫌になってしまうようなお年頃でした。アホンダラ!!
ハイ・スタンダードもスタンス・パンクスも、ステューシーも名古屋・大須の服屋さんも、兄から教えてもらいました。後にも先にも兄と二人で服を買いに行ったことなんてただ一度切りしかない。兄が持っていたファッション雑誌の巻末広告にあるパチモンのティーシャツ屋でア・ベイシング・エイプのティーシャツを買いました。首がすぐに伸びてしまいました。気づけば陰毛も生え揃っていた歳でした。
きっと兄が学祭でバンドを組むやらなんやらでエレキギターでも買って練習していたとすれば、十年後の(今の)自分はギターを弾けるようになっていたかもしれません。悲しいかな、弾ける楽器は今も何一つない。プライドが高い割にはシャイで人見知りの兄なのだ。
高校受験戦争を終え、中三から高一へとオトナの階段を一歩登り、他地域の高校に通ってみてはじめて気づく缶ペンケース人口。その多さに自身の井の中の蛙おしゃれアイデンティティを貫き通せなくなり、導入したのが無印良品のポリプロピレン製のペンケース(大)。あの300円くらいの中身が透けて見えるチープなやつ。でも、そのチープな感じが一周まわっておしゃれだと思っていたのであるよ。
ぺんてる社のAinではなく無印良品の茶色い円筒型のシャー芯ケースを使っていたのも、トンボ鉛筆社のMONOではなくあえて無印良品の黒い消しゴムを使っていたのも、やっぱり兄のパクリの丸パクリだったし、それがさりげなくかっこいいと思っていたわけでして。嗚呼。
そして我が家のパソコンを駆使し、(もはや死語のような)インターネット・エクスプローラー上をサーフィンしては好きなバンドのロゴ画像をひたすらに探してはデスクトップに保存したのでした。それは高校入学祝いに両親から買ってもらったiPod miniにこれでもかと入っていたオフスプリングやらNOFXやらスリップノットやらのバンドのロゴ画像。それを電気屋で買ってきた家庭用印刷機対応ラベルシールにせっせと印刷しては無印良品のペンケースにこれみよがしに貼っていたのでした。だせえ。「俺こんな音楽聴いてるし詳しいぜ」とマイノリティ的アイデンティティをわずかペンケース上面のスペースいっぱいに表現しようとしていたのでした。小せえ、俺。
小学生高学年からにょきにょきと伸び続けた兄の身長も中学を卒業する頃にはピタッと止まり、自分が高二になる頃には身長も体重もほとんど変わらなくなりました。
小学生の時には到底かなわなかった物理的な差が埋まると、いつの間にか大学生になった兄の日々の行動が羨ましくて仕方がなかったことを思い出す。ばいと、さーくる、りょこう、くるま、そつろん、しゅーかつ。そのすべてがオトナびてみえたのでした。でも、実際に自分が大学生になってみると、それらがふつうでありふれたものだったことにようやく気づく。大学生活に抱いた羨望はパッパラピーで自作自演なひまつぶしだったりもすることを知った。チャラチャラした格好で、大学生にもなって倖田來未や安室奈美恵を聴きながら自慢の軽自動車をせっせとカスタムする兄が精神的に幼く感じたのでした。
26年経っても昔と変わらず仲も良くないし、連絡を取り合ったりすることも皆無なんだけれど、それは歳の差が二歳だからだ、とずっと思い続けている。
これが三歳だったら自分ももう少し兄に甘えられただろうし、兄も唯一の弟を可愛がったんじゃないかと思う。そして、その差が一歳だったら、もっと近い距離で兄弟でいられたのかもしれない。
んで、なんでこんなことを途方も無くつらつらと書いたのかと言うと、今年29歳になる兄がようやく結婚することになったからだ(それも自分と同い年の娘と)。そして、兄との思い出をつらつらと振り返った結果が、ゴーイングステディだったり、無印良品だったり、大学生活への羨望だったりしたわけ。
「お前、オレの真似ばっかすんじゃねえよ」と頭を叩かれ「テメエの真似なんかしてねえわ!」と背中に向かって言った回数はすでに100回は超えてるだろう。思い返せば、やっぱり兄の背中を見ながらこうして26年間もあざとく器用に次男坊をやってきたわけなのである。
そういえば、いつかはニイチャンからアニキと呼び方を変えるはずが、二十代を折り返してもニイチャンのままですっかりタイミングを逃してしまっていることに気づいたのでした。今更呼び方を変えれそうにもない。あ、ニイチャン結婚おめでとう。