いわゆる伝統工芸や地場産業と言われるモノの未来について。
「この仕事は同じ血が通っていないと継げない」
ある職人さんから言われたこの言葉が今も頭から離れません。
心惹かれる職人仕事
ぼくは伝統工芸や地場産業のような地域に根付いて独特に発達してきたモノに非常に興味があります。
その理由はとても感覚的だけれど、一言で言うと、地域や国、世代を越えて人から愛され続けているものは誇らしいし、素晴らしいと感じるから。
あまりテレビを観る習慣がないこともあって流行りのポップ・ミュージックはよく分からないけど、ビートルズやジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャードあたりの昔のロック・ミュージックに心惹かれ、漁っては好んで聴いています。
流行りのファッションはよく分からないけど、リーバイスやリーのビンテージデニムは見ているだけで楽しい。
話題騒然のアクションムービーよりも、名作として何十年も観られ続け、今もなお感動を生んでいる映画の方が観たい。そんな興味や関心も大いに影響しているんだと感じています。
数える程度ですが、伝統工芸や地場産業に関わる方々を訪れ、話を聞いてきました。
誇りを持って働く職人さんの思いに心打たれることもたくさんあるし、ものづくりの本質に触れるような瞬間に出会うことを楽しみに、足を運んでは職人さんに話を聞かせていただいています。ぼくの趣味と言ってもかもしれません。
誰にも気付かれないような些細な箇所にもこだわりと誇りを持って手間暇を惜しまない姿勢には頭があがりません。
飽きっぽい性格のぼくにとっては、1つのことに対して、人生の大部分の時間を使ってひたすらに、真摯に向き合う職人さんの姿勢に惹かれているのかもしれません。
まるで99点のものをいかに100点に近づけるか、0.01点、0.001点をどうやって創り出すかをずっと考え、ひたむきに取り組み続けているかのような世界観です。
こだわりと誇りが詰まったモノ、何十年・何百年と愛され続けてきたモノはやっぱりこれからも先も続いていって欲しい。本当に良いモノはこれからも残るものだと思うし、残すべきだとも感じています。
僕が暮らす、愛知・津島の話
周知の事実で、加速度的にそういった産業が衰退していることは事実。
僕が暮らす愛知県津島市にも例の1つだ。かつて津島市は雪駄の生産量が全国シェアの70%にも及んでいたと言われています。
しかし、5年前に津島在住の日本で最後の雪駄職人が亡くなり、津島市の雪駄づくりは終わってしまいました。
生業としての日本最後の雪駄職人でもあるので、日本の雪駄づくりが幕を閉じたと言っても過言ではありません。
また、津島市には900年以上続く太鼓メーカーがあります(900年前は1100年代、「いいくにつくろう鎌倉幕府」よりも前だ)。
全国に今や十数件しか残っていないと言われる太鼓メーカーの中でも歴史が最も古い太鼓屋さん。現在は26代目。とてつもない歴史です。
現在の当主の方は現役で太鼓づくりに取り組んでいます。息子さんが代を継ぐ予定ですが、今や生業として成立していないと言います。
需要として太鼓が売れない問題だけではなく、太鼓の原材料になる300年生以上のケヤキがそもそも手に入らなくなってきているとのこと。
他にも、津島市や隣接する愛西市、蟹江町などは造り酒屋が多くあります。
木曽川の伏流水を利用して昔から酒づくりが行われてきた地域であり、津島神社が交通の要所として機能していたことも大きい。30年ほど前まではその3地区で10つの酒蔵があったが、すでに8つに減りました。
こういった事例は津島市だけではありません。全国でメーカーや職人が減少しています。
全国で加速度的に減少
例えば醸造業界が顕著な例です。造り酒屋や醤油蔵はこの20年で加速度的に減少しています。
江戸時代には造り酒屋は約20,000件あったと言われています。
どのまちにもひとつ、造り酒屋があったそうです。昭和末期には3,000件あった酒蔵も今や1500件近くにまで落ち込んでいます。およそ20年間で1500件の酒蔵が廃業した計算です。
醤油メーカーも似たようなデータがあります。
1990年に2,300件ほどあったメーカーが2010年には1,447件に減少しています。およそ20年間で900件近くの廃業。日本酒と醤油、どちらも驚異的な数字で減少していることに驚きを隠せません。毎日のように使っている醤油でさえここまで顕著だとは驚きでした。
伝統工芸分野では、経済産業大臣指定伝統的工芸品という「この技法ができるのはこの人が最後」「これを作れるのはこの人だけ」といった伝統工芸品を認定する制度があります。
昭和49年には「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」(伝産法)という法律が制定され、国による振興策がスタートしました。地方公共団体においても、地元の伝統的工芸品産業の振興への関心が高まるようになりました。
しかし、そういった国や地方公共団体の取り組みに反して、消えゆく伝統工芸があるのは事実です。その動きはもしかしたら施策などでは決して止めることなどできないのかもしれません。
同じ血でないと継げない
伝統工芸や地場産業が現代の価値観に合うようなモノに形を変え、現代で改めて評価されるものも多くあります。
例えば、ほんの一例に過ぎませんが、日本酒の出荷量が年々減少する中で「チーズとよく合うお酒」を提案する小西酒造の女性をターゲットにした商品開発は素晴らしいと思うし、中川政七商店の展開するHASAMIシリーズは長崎県・波佐見町の陶磁器である波佐見焼の技術を生かしつつデザイン面で魅力的な商品をつくっています。素晴らしい取り組みですね。
伝統や歴史を抜きにして、純粋に現代のニーズに合う、欲しいと思える商品。こういった企業が増えて欲しいし、自分にできることは購入と消費でしかないかもしれないけど、心から応援していきたいと思っています。
では、メーカーとしてではなく、職人が1人でコツコツとやっている手仕事による伝統工芸的なモノはどうでしょうか。
船大工は、木桶職人は、釣り針職人は、野鍛冶は、これからも生業として仕事を成り立たせ、その技術をどう残していけばいいのでしょうか。
単に売れたら良い、全国や世界で注目を浴びたら良いというものではありません。
メディア露出を通して急に注文が大量に入るようになったからといって対応できるものではないし、一時的なものにすぎません。
太鼓職人の話でも述べた、原材料が手に入らなくなってきているという問題に直面している産業も数多くあります。後継者の問題も然り。
冒頭にも述べた「この仕事は血が繋がっていないと継げない」という言葉。
「後継者を探さないのですか?」
という僕の問いに対する、ある職人の答えでした。
何十代も何百年も同じ血で継いできた仕事を、技術を残すために他所から後継者を探して継承させるなんて荷が重すぎると言います。
ましてや生業として成立しておらず、この先どうなるか分からない現状の中で、技術を残したいと言う思いだけで継いでいくことはできない、と。
そう考える職人ばかりではないかもしれませんが、同じような感覚を持っている職人は少なくないのではないかという印象を受けます。
アーカイブとして残すこと
自分が好きな伝統工芸や地場産業がこれからもずっとずっと後世に残っていって欲しいと思いながらも、もしかしたら、それはどうしようもできないものなのかもしれないと感じてしまいます。
自然淘汰と同じで、条件や環境に適応できるものだけが生存し、そうでないものは自然と滅びていきます。
それは決して職人仕事をしている方が弱いとか時流に乗れないモノが悪いとか言いたいのではなくて、時代が移り変わっていく中で、昔は必要だったモノが現代になって不必要となり、無くなることが良い悪いの2択ではなくて、自然な流れであるということ。
損益分岐点とか需要・供給曲線のようなものでは測れないグラデーションのようなイメージでしょうか。
ぼくは消えゆく伝統工芸や地場産業を、モノとしてはもちろん、その作り手の思いや技術をアーカイブとして残していく必要があるのではないかと思います。文章であったり、映像であったり、写真であったり、後世に伝えつないでいける方法で残す。
「このまちにはこんな伝統工芸がありました」とか「こういった産業がかつて栄えていました」といった小学校の社会の教科書に載っている表面的・概要的な記録ではなくて、まちの文化センターのショーケースに小さな紹介文とともにひっそりと飾られてあるだけでなくて、作り手や職人の息遣いや緊張感が伝わるかたちとして。
産業が時代の変化とともにどう移り変わっていったのか、その中で変わらない作り手の思いを残すことが必要です。
これらの産業が無くなったからといって現代人の生活はなんら変わりません。無くなって困るモノならば残っていくはず。
だけど、それら無くなりつつある伝統工芸や地場産業のモノの作り手の姿勢にこそ、地域や国の本質や「らしさ」が残っているのではないでしょうか。
最近、塩野米松さんの著書<手業に学べ 技><手業に学べ 心>に出会うことができました。とても素晴らしい本なので全力でおすすめです。
生業としての手仕事がどう移り変わってきたのかが伝わってくるし、作り手の繊細な感覚が表現されている聞き書き集です。
塩野米松さんのあとがきでとても印象的な言葉があります。
こうした人たちがいた、こういう仕事があったということは色褪せないのでは。彼らの生き方は日本人の資質の大事な部分を作っていたと思う。これからも社会は変わり私たちはさまざまな悩みを抱え、帰路に立つだろう。そのときにこうした先人達の生き方、考え方、物づくりの姿勢は、先を見る指針となるはず。
まさにその通りですね。
日本人の資質の大事な部分とは何なのか具体的には述べることはできないけど、その要素がたくさん詰っているのが彼らの仕事なのだと感じます。