「買っても売るな、貸しても借りるな」
学生時代に出会った広告代理店のオッチャンがこんなことを教えてくれた、ということ自体ずいぶんと忘れていたのだけれど、古本屋からの帰り道にふと思い出したのでした。そう、本のはなしです。
オッチャンは六・七年前に一度会って酒を飲んだきりで、(失礼な話だけど今や)名前も覚えていないし、顔もぼんやりとしています。けれど、ただただ本が好きなひとだった、それだけが強烈に印象に残っています。
酒を飲んでいる間、料理にはろくに箸もつけず、本の話だけを続けていました。本を酒の肴にして、熱燗をぐっと何杯も飲み干した。
「俺がね、大学に入学して最初に買ったものは、テレビでも冷蔵庫でも服でもなく、本棚だったんだ」
名古屋の文学青年は高校卒業後、小説家を目指して上京。都内の一流大学・文学部に入るまではよかったのだけれど、三十年以上が経った現在は広告代理店で(しかも専務にまで昇進して)働いているのだから、いつぞや夢は破れ小説家にはなれなかったのでした。
俺は小説家にはなれんかったけど、広告でひとの心を掴むんだ・感動させるんだ、と顔を真っ赤にしながら語る口ぶりとその目は本気だった。
「大学を卒業するまでに本棚を埋め尽くすくらい本を読むぞって思ってね。バイト代をはたいて十数万もする本棚を買って、ロクに大学にも通わずに本ばかり読んでいた」
結局、四年で大学を卒業せずに余分に一年通った後、本棚が埋まるどころか部屋の置き場所にも困るくらいに本を読んだというのだから流石です。
「若いくせに背伸びして哲学書やら古典やらもたくさん読み漁ったんだけど、二十代の若造には理解できない本も数えきれないくらいあったもんね」
そして、冒頭の「買っても売るな、貸しても借りるな」という話。
知識を得ようと背伸びして小難しい本を買って読んでみても、今の自分には到底理解できない本もたくさんあるだろう。でも、いつか必ず自分にとって必要となるタイミングがやってくるから、そのタイミングがくるまで大切に持っていないとダメだぞ。
然るべきタイミングには、自分が本を必要とするんじゃなくて、本の方から自然と寄ってくるんだよ、と。ほほう。
そして、本はとにかく自分の金で買え。金がなくても売るな、金が無くても本は読める。貸しても借りるな、貸したら返ってくると思うな。借りて良い本なら必ず買え。
自分の身銭を切って読まんとお前の血肉にならんぞ、と最後に付け加えた。
物置の片隅に追いやられ、ぶ厚い罪悪感を重ねて積読している本が頭をよぎる。
名著だとお薦めされて買ったもののほとんど開くことなく眠ったまま経営本、読み切る気力がなくて第一章の半ばでストップした古典、神保町の古本屋で背伸びして買っただけで満足してしまった哲学書…。それらが自分の血肉になるまでは、まだしばらく時間がかかりそうです。
ちなみにその日、古本屋さんで買ったのはちくま文庫「童貞小説集」。悲しいかな、これが背伸びしていない俺の等身大。
「処女小説」ならぬ「童貞小説」は、そのものずばり、性交経験のない男の苦悩を描いた小説である。収録した諸作品を、「童貞」という切り口で読みなおす、ユニークなアンソロジー
という紹介文を一目見てはすぐにレジに持って行って買ったのだ。こんなコピー読んだら買うしかねえだろ。一発目の三木卓「炎に追われて」から悶々・鬱蒼として最高だわ。
オッチャン、ちゃんとぜんぶ血肉にしますから。