先日、大切な友人とFacebookでメッセージのやり取りをしていた。話題はついつい昔話へ。
なにげない友人の言葉が、いまも強く印象に残っている。
よく「丸くなったね」なんて言われますが、それは周りが磨いてくれたからこそ。
一人ではとても変われないので。
すてきな表現だなぁと感心するとともに、言葉に触れたとき、感謝を伝えたいひとたちの顔が次々と浮かび上がってきた。
人格は、思いは、言葉は、周りのひとが磨いてくれているんだ。決して、自分ひとりで磨きあげるものではないんだ。言葉にできなかった感覚がシックリと頭に馴染んだ出来事だった。
悩みや不安を他人に話すことで(問題は解決していなくても)なんだか気持ちがスッキリした!という経験は誰もがあるだろう。
心の内にあるイライラや不安、怒り等の感情を言葉にして表現すると、その苦痛が解消され、安堵感や安定感を得ることができる。
この効果を精神分析用語でカタルシス効果と言うらしい。cathartic effect。英語だと尚更かっこいい。
僕はいろんなひとに自分の考えていることを話すようにしている。仕事もしょうもない妄想も、恋愛のことも、なんでも。
その考えは「こういうことだ!」とストンと腑に落ちた考えだけではない。「こんな感じかな?違うかな?」とイマイチだと思いながら話すこともたくさん。
「話を聞いてもらってスッキリしたい!」というわけではなくて、自分の考えを言葉にして話すことで「思いが磨かれる」からだ。
感情や考えをうまく言葉に表現できない、という感覚を味わったことはないだろうか。
その感覚を味わうことが多いからこそ、こうして自分の思いをブログの記事として定期的にアウトプットしている。思いを磨きたいからだ。
ゴツゴツ・ボコボコと不器用に膨らむ思いは、最初はうまく伝えられないかもしれない。伝えても、相手には伝わらないのかもしれない。だけど、言葉にして、ひとに話してみないと、いつまで経ってもその思いは不恰好なままだ。
思いは、言葉は、周りのひとが磨いてくれる。丸くしてくれる。決して、自分ひとりで磨きあげるものではないんだ。
他人に悩みを相談してみても、問題はなにひとつ解決していない時もある。少しのスッキリ感しか得られない時もある。
「相談しても、スッキリするだけで何も前に進まないんだよなぁ」と自分に嫌気が差す時こそ、自分のゴツゴツ・ボコボコとした思いが、少しだけ丸く磨きあげられていることに気がつくのかもしれない。
問題はなにひとつ解決していなくても、次に相談する時には、もっとうまく言葉にして相談できるようになっているはずだ。
だからこそ、僕は考えていることをいろんなひとに話したい。
自分ひとりでは丸くきれいに磨きあげることはできないから、一緒に考えて欲しい。磨きあげて欲しい。