地域活性化のあるべき姿なんて分からなくてもいい

shoutengai
 

僕は地域活性化という言葉があまり好きではない。

それは、誰しもが手に入れたいと渇望する宝の地図のような言葉に感じてしまうから。

 

きっと地域は今より活性した方がいいに決まってる。だけど、その地域活性のあり方はさまざまだ。
若手のアーティストが集まってイベントを開催するのも、地域資源を活用して新商品を開発するのも、高速道路が開通するのも、大きな集客施設が建設されることも、地域活性化。だけど、それらがぜんぶ地域活性化という言葉でくくられてしまうのは違和感がある。

 

甘い考えかもしれないけれど、ひとりでも多く集客をすることや、1円でも多くの売上をあげることだけがすべてではないはずだ。だって、いくら集客数が増えたって、売上が伸びたって、暮らすまちを誇るひとが増えることとは直接的に関係しないから。

 

僕には知識もスキルも経験も無いし、地域活性のあり方なんて分からない。もしかしたら一生分からないのかもしれない。

 

だけど、分かっていることがひとつだけある。

「このまちはなんにもないまちだよ」と言って自分の暮らすまちを批判するひとよりも、「とってもいいまちだよ。案内するわ!」と言って自分のまちを語れるひとが溢れたまちはきっと素晴らしいまちだ。少なくとも、僕はそんな誇りで溢れたまちに足を運びたいと心から思う。

 

「おわせカンパニーはなんのためにやってるの?」と質問されることがある。

林業や地域の課題に照らし合わせ、理路整然とした意味や理由を並べてしまいがちだけど、根本はとてもシンプルだ。まちを誇りたい。

 

「なんにもないまちだよ」と言って諦めてしまうのではなくて、「素晴らしいまちだよ」と誇りたい。素晴らしいまちだと暮らすまちを誇れるひとを増やしたい。

 

明確な目標を描くことができるから前に進めるのではなくて、不明確な目標ながらも、その目標に向かって進もうとするからこそ、より明確に目標はみえてくるものなのだ。だから、目の前の小さなことを愚直に、丁寧にやるしかないんだ。

100点が何なのかはよく分からないし、うまく描けない。けれど、0.1点、0.01点は分かる。積み重ねるだけ。