「あんたんトコの会社の○○さんはよう働きよるな」
「○○さんはほんまよう仕事ができる人や」
昨晩、取引先の林業会社のスタッフさんとごはんを食べていた時のことでした。取引先のスタッフさん一同が、○○さんと直接的な仕事の関わりが少ないにも関わらず、たくさん褒めてくれました。
翌朝、その話を当の○○さんにしてみたところ、
「そんなにワタシ見られとるんやろか?!」
「あんまり話したこともないんじゃけどな〜」
と心底驚いた様子だったけれど、ニカッと笑って「恥ずかしいけど、ほんま嬉しいな!」と喜んで仕事に戻っていきました。彼女はいつもより気分よく働くことができるかもしれないなぁと、そのピンと伸びた後ろ姿を見ながら思ったのでした。
なにより、当事者ではない自分自身が嬉しかった。取引先の企業さんがウチのスタッフを褒めてくれたという事実が嬉しかった。自分が直接面と向かって褒められるよりも嬉しいかもしれないなと感じたのでした。そして、それを嬉しいと思える自分っていいなと更に嬉しくなったのでした(単純)
人は気分に揺さぶられて生きています。だから、毎日とは言わないまでも、少しでもご機嫌に生きていたいなと思います、つくづく。
けれど、誰かの何気ない一言で「今日一日頑張ろう」とやる気がみなぎることもあるし、たまたま耳にした噂話ひとつで「もう気分は最低最悪」となってしまうこともあるから気分って難しいものです。
自分自身でスイッチを押して、気分がよくなるってなかなかできないもの。
きっとご機嫌スイッチは背中の真ん中あたりの手が届きにくいところにあると思うんですよ。届きそうで届かない。自分でパチっと切り替えて勝手にご機嫌になれないのかもしれません。
だからこそ、自分自身がご機嫌に生きていくために、誰かを少しでも気分良くさせながら生きていたいなと思ったのでした。
誰かのご機嫌は人を介して回り回っていつか自分の背中のスイッチを押してくれそうな気がします。