材木屋の大先輩のおっちゃんから言われたことが妙に頭に残っているので文章にしてみました。
スタートは丸太の仕入れ
ぼくたち材木屋の仕事は、丸太を仕入れることからすべてがはじまります。
山主さんが子や孫のためと次の世代の幸せを願って植えた木々。それらは50年以上もの時間を経て、じっくりと太く大きくなりました。大切に育てられた木々は、丁寧に伐採され、丸太となって山から伐り出されてきます。
その丸太を仕入れ、加工し、販売する。
そして、暮らしの一部として木を届けることがぼくたちの仕事です。
同じものはない、だからクレームの元だったり
ご存知の通り、一本一本の木に同じものはありません。
だから、一枚一枚のフローリングもまた、ひとつとして同じものはありません。
色味も違う。木目も違う。もちろん節だってある。だから、一枚一枚の表情も当然異なります。
一定の規格と品質を担保できるように丁寧に加工するのだけれど、やっぱり曲がったり反れたりしてしまうこともあります。だから、工業製品と同じ感覚で扱ってしまうと、クレームの元となってしまいがち。
色が違う。節が気になる。想像したイメージと違った。
クレームを避けるためには自然素材なんて使わない方がいいし、例え無垢のフローリングを売るにしても、節のないようなきれいな材料だけを扱った方がいい。その方がギャップも少なくなります。
節埋めジレンマ
でも、長い長い時間をかけて育った木だから、一本一本を無駄にしたくない。出来る限り余すところのないように使い切りたい。木一本の価値をとことん高めたい。そんなことを思いながら日々、木と向き合っています。
でも、なかなかうまくいきません。
例えば、節。木には生き節や死に節が当たり前のようにあります。大きいものも小さいものも、いろいろ。節がある材料をフローリングにするときは、パテやおが粉を使って埋めたり、埋め木処理をしたり、とさまざまな方法を使って加工します。
赤ちゃんがハイハイしても怪我をしないように。ストッキングを履いた女性が伝線しないように。そんなことを考えながら、製造スタッフのみんなが一枚一枚を手作業で丁寧につくってくれています。
この節埋めをはじめ、修繕する作業というのは想像以上に手間がかかります。手間がかかるということは人件費などコストもかかるということ。実際に、節埋めに使用する埋め木は一枚で何十円というコストがかかります。節の多い材であれば、一枚の板に何個も埋め木の処理をすることになります。
ですが、一般的に節のない材木よりも節のある材木の方が値段が安いのも事実。けれど、手間はかかってしまう。どこまでコストをかけて修繕するのか、そして、いくらで売るのか、そのバランスが難しいのです。一本一本の木を無駄にしたくないという思いと、積み重なる製造コストのジレンマ…
以前たまたまお会いした製材所のオッチャンに悶々とした話をしてみたとき、オッチャンの返答が実に気持よくて、今でもしっかりと記憶に残っています。思い出すのはオッチャンとのこんなやりとり。
節なんてホクロみたいなもん
「枝がない木なんてないんじゃから。ちゃんと説明したらないかんよ」
「それに節なんてホクロみたいなモンじゃって言うたってくれ」
―へえ、その例えはいいですね。
「好きなオンナのホクロだって愛したらないかん」
―でも、オッチャンもホクロばっかりのオンナじゃ嫌でしょう?
「そりゃそうじゃ。節一つないような、色白で目の細かい桧の柾目みたいなオンナがええな」
―ほら、やっぱりそうじゃないですか
「ウチのおばはんは節だらけ。色も悪いし大曲り。根も腐っとる!ガハハハハッ」
―さっき好きなオンナのホクロだって愛したらないかんって言うたじゃないスか
「じゃから、そんなオンナでもワシはしっかり愛しとるんじゃで」
「いまさら変える気もないし、もう十分に一緒に生きた」
あとは一緒に死ぬだけじゃ、とオッチャン。
そんな冗談言えるくらいならまだまだ元気ですよ、とぼく。
伝わる材木屋
自然のものなんだから、反れたり曲がったり節があるのは当たり前。そんなことを当然のように言う必要は無くて、そういった特徴を踏まえて愛してもらえるような提案をする必要があると感じたのでした。
節がない=良い材、節がある=悪い材、では決してありません。そんな木材流通では林業がおかしくなってしまう。
それぞれの木の特徴をホクロのように愛してもらえるような提案こそが今こそ必要なのかな、と。伝えると伝わるはまったく別モノだから、伝わる材木屋でありたいと思ったのでした。