父方の祖父母の実家は奥三河のド田舎だ。
中高生の頃は「御園のじいちゃんばあちゃん家に行ってもやることないから行きたくない」と、活だ受験勉強だと言い訳をして、お盆や正月など年に数回しかない帰省の機会から逃げていたこともあった。
しかし、久しぶりにばあちゃんに会って話を聞いていると、昔は行くのも嫌だったド田舎での暮らしがとても魅力に溢れたものだと感じる。今回は祖父母の田舎暮らしについて記事にしてみたい。
祖父母の暮らす集落、御園
ぼくの父方の実家は愛知県の奥三河にある。人口4,000人に満たない東栄町という小さなまちだ。花祭りという重要無形民族文化財にも指定されている700年以上続く祭りが有名である。巨大な鬼の面を付けた鬼の舞などが夜通し行われる霜月神楽の祭事だ。
昭和30年の合併により東栄町となったが、祖父母の住む地域は御園と呼ばれる小さな集落である。今では集落内の人口は100人に満たない。地域の95%以上が山。最寄りのコンビニまで車で1時間。道路には当たり前のようにサルやシカがいる。御園は山間のド田舎なのだ。
そんな地域で育った父やその兄弟、親である祖父母はかなりパワフルで野性的な人間だ。自然の中で生きる力に長けている。彼らが育った環境は決して特殊ではなく、当時は当たり前の暮らしであったようだが、平成生まれの僕からすればとても面白く刺激的だ。
小規模で多様な仕事
以下に記す内容は父が小学生の時の話なので40年前、つまり1970年代の話になる。
祖父は土木作業員、祖母は小さなまちの天文台で惣菜づくりをしていた。小さな組織であるものの雇用者として働いていた。しかし、祖父母の仕事はそれだけではない。
畑では農作物を育てていた。そもそも日に3、4本しか無いバスに乗らないとスーパーや八百屋に行けないこともあり、家族で食べる分の米と野菜は賄える程度に育てていたそうだ。果実も少々。
そして、ヤギやウシ、ブタ、ニワトリを育てていた。ヤギは乳を絞るため。ウシやブタは子供を安く買って大きく育ててから売るため。ニワトリは卵の採取と鶏肉を食べるため。
養蚕にも取り組んでいた。夜の内職として繭まで育てて売る。簡単で、しかも当時は結構な現金収入になったそうだ。
他にも味噌をつくったり、山菜を採ったり、クロスズメバチの巣を取って蜂ゴハンにしたり、水槽で育てた鯉を食べたり…どれも規模は一家族だけの小さいものだが、非常に多様だ。
金銭だけに頼らないたくさんの資本
祖父母家族は上記のように通常の仕事以外にも田舎で暮らしていくために様々な仕事をしていた。
その上、持ち家だったので家賃はかからないし、お風呂は薪風呂。少しの山も持っていたので山から薪を集めることが可能だった。買い物で購入するものは調味料と洗剤、服くらいで食材についてはほとんど買うことはなかったと祖母は述べている。具体的な数字は分からないけれど、非常に少ない固定費で暮らしていたのではないだろうか。
祖父母の暮らし方は質素だが、金銭だけに頼らない持続的な暮らし方だと感じる。例え、急に雇用者としての仕事が無くなったとしてもしばらくは生きていくことができる。米や野菜などを中心に食材は自分の畑から調達することができるし、ウシやブタの飼育、養蚕などから多少の現金収入を得ることができる。
「ウチは貧乏でお金が無かったもんで…」と祖母は言うが、お金が無かったからこそお金だけに頼らない暮らし方を自然と実践してきたのだと思う。土地や畑、山、畜産、近所付き合い…現金以外のさまざまな資本を持っていた状態だったのだろう。
そして、当時は当たり前だったその田舎での暮らし方を通して、彼らが身につけた力は素晴らしいものだ。ぼくには決してない、自然と生きる力。
自然と生きる力
こうしてぼくが今、大学で森林について学び、林業や田舎のあり方に大いに関心を持っているのは幼い頃に父や祖父母と御園で過ごした経験が起因している。僕は父や祖父母が御園で暮らす中で、当たり前のように身につけている自然と生きる力に憧れを持っている。
山に入ればこのキノコは食べられないだとか、あの木はナントカの木だとか、たくさんの知識を持っている。「ほら、あそこにクワガタがおるじゃろ」と山の中にいる小さな動物を見つけるのも早い。川に潜ればいとも簡単に魚を突いてくる。「昔はよく爺さんの手伝いをしたからなあ」とてきぱきとニワトリを捌く様子は非常にたくましい。
それは土地や自然環境、季節の移り変わりの中で必要だからこそ身につけた知識や経験だ。それが無ければ環境の中で生きていくことが出来なかったのかもしれない。
伝統工芸などに関わる職人さんのお話を伺っていく中で感銘を受ける瞬間がある。
自然や時間と向き合う真摯な姿と、そこから紡ぎ出される心を打つような言葉だ。だが、それは自分のじいちゃんばあちゃんにも共通していた。
慌ただしい世の中の流れを批判するつもりもないし、モノがあふれる社会や使い捨ての風潮を咎めようとも思わない。けれど、自然と向き合って暮らしてきた人の姿勢や考えはこれから伝えて続けていく必要があるのではないかと感じた。現代では決して学校では教えてくれないからこそ、社会に出ても学べないからこそ。学び深いばあちゃんとの再会だった。