2009年、大学生の頃、東アフリカのケニア共和国を2週間ほど訪れ、マサイ族の家庭にホームステイした経験がありました。
「トモヒロ、ちょっとそこまで水を汲み行こう」
ホストファミリーでありガイド役を担ってくれたデイビッドに誘われるまま、水を汲むお使い&散歩に出かけたものの、荒野を歩けども歩けども水汲み場はいっこうに現れません。
「デイビッド、あとどれくらい歩くの?」
「なあに、あと2時間くらいだよ」
「えっ!!あと2時間って全然ちょっとの距離じゃないよ!」
彼らマサイ族とぼくたち日本人にとっての「ちょっと」の時間感覚はかなり違うんだなと驚いたものでした。
近所のコンビニに買い出しに行くわけでもなし、ケニアの荒野に水汲み場なんてそうそうありません。でも、まさか片道2時間もかかるとは!
そして「ちょっと」のような、人によって程度の認識が異なる言葉の危うさを感じたものでした。
この感覚のズレはマサイ族と日本人だから生じたわけではなく、日本人同士でも往々にしてあるものです。
当たり前のように使っている言葉が、実は感覚のズレを発生させてしまっていることってありますよね。
仮に上司Aが部下Bに仕事のお願いをするシーンに当てはめてみました。
▼パターン1
A「今ちょっとだけ手伝ってくれない?」
B「(この後予定があるので)ちょっとだけなら大丈夫ですよ」
( – 5分だけお手伝いする – )
B「すいません。これで失礼します」
A「おいおい、5分しか手伝ってくれないのかよ」
▼パターン2
A「今ちょっとだけ手伝ってくれない?」
B「(この後予定があるので)5分だけなら大丈夫ですよ」
( – 5分だけお手伝いする – )
B「すいません。これで失礼します」
A「忙しいのに手伝ってくれてありがとうね」
上司Aからの依頼ごとに対し、パターン1&パターン2のいずれも部下Bがやったことは同じです。
しかし、パターン1ではガッカリされ、パターン2では感謝される。
「ちょっとだけ」と「5分だけ」。
この2つの言葉のどちらを選んだかで印象がかなり変わってしまいます。
自分自身、どこか答えを曖昧にしたい時には言葉を曖昧にしてしまいがち。
お客さんから見積もりの催促があった時「この後すぐやります!」なんて反射的に言ってしまうことがあるけど、「すぐ」の時間感覚が相手と自分でぴったりと合っているわけではないのだから、きっと良いことにはなりませんよね。
「明日の朝9時までには送ります」と明確な時間を設定し伝えておいた上で、今晩中に送ったとしたら「期日よりも早くやってくれたな」と相手は良い印象を持つことだってあるはずです。
印象は、相手が自分に持つ期待値を上回るか下回るかで決まる。
そう考えてみたら、「ちょっと」だとか「すぐ」といった曖昧な言葉を使うことについて意識した方がいいのかもしれませんね。
「トモヒロ、そんな細かいことを気にするなよ。ポレポレでいこうぜ。」(スワヒリ語で「ゆっくり」を意味する)
なんてマサイ族のデイビッドに笑われてしまいそうだけど、自分が普段なんとなく使って誤解を与えている言葉を使い改めたいなと考えキーボードを叩いたのでした。
期待値コントロールについてはサイボウズ式のこちらの記事が秀逸です。