俺は裸の男たちに囲まれていた。
いや、俺も裸の男たちの一部だった。
その数80人。皆ふんどし一枚の姿で声を荒げている。男たちの身体からは湯気が立つ。皆、あるものを手に入れるため血眼になって己の身体をぶつけ合っていた。雪が降り止まぬ西粟倉村、午後9時、氷点下3度。寒い。
わっしょいわっしょい。おら。どこだ。おいそっち行ったぞ。押せ押せ。抜け。身体起こせ。行け!行け!
2月第2週の土曜日、西粟倉村の岩倉寺で開催された裸祭りに参加させていただきました。そう、天下の奇祭、裸祭りです。
岩倉寺御本尊の観音様の御利益を集めた陰陽2本の宝木(しんぎ)を、精進した裸群が争奪する宗教行事で、江戸時代中期に始まったとされています。村内外から集まった男たちが、湯気を立ち上らせながらまわしひとつで練り合う様子は迫力満点です。
去年はじめて裸祭りを知り、わけも分からないまま見学。男たちがふんどし1枚で宝木(しんぎ)を奪い合う姿に興味津々。うわすげえな面白いな怖いな、でもやってみたいな。
だったら今年はいっちょ出てみましょと友人二名と半ば勢いで参加してみることになりました。
とはいうものの、参加するだけで目的を達成するが如く、ろくに練習もせずビビりながら当日を迎えました。
用意するものはサラシ一枚と地下足袋、以上。男を隠しただけの布一枚の心もとない装備。己の身体一つを信じられるほど日々の鍛錬を積み重ねているわけがありません。当日の目標は風邪をひかないこと、怪我をしないこと。生きて帰ろう。
会場に到着するまでに地下足袋は雪に埋もれ足先の感覚はなくなり、ふんどし一枚にコートを羽織るも頭に積もる雪雪雪。寒い寒い寒い。
サラシを巻く前に友人と約束していた「ふんどし一枚でインスタジェニックな集合写真撮ろうぜ!」なんて浮かれた話を持ち出す余裕もありません。
中途半端な決意のままふんどし一枚になり、裸の男たちの一部になる俺。わっしょいわっしょい。立ち込める湯気。震える足。漂う男臭。まったく知らないオッチャンの人肌だってあたたかいんだからちょっぴり安心してしまいます。
いざ宝木(しんぎ)が投げられ、さあ戦いは始まった!
がなる男たちの声。宝木(しんぎ)に伸びる無数の手。
開始早々アレヨアレヨと男衆の勢いに負け渦からはじき出される俺。ただ傍観する俺。友人二人は見当たらない。
巨大な肉の塊を覗いてみても宝木(しんぎ)がどこにあるか分からない。見えるのは男の尻尻尻。
俺にできることと言えば、渦の端からお知り合いのお尻を押すことだけ。あ、◯◯さんだ羽田です失礼しますお尻押しますぅ!
「宝木(しんぎ)も喜んどるで!」
「今年はええー祭りじゃあ!」
おい抜けた抜けたぞ!どこだどこだ!と声が聞こえ同時に渦がばらけ肉塊は散ります。気づけば宝木(しんぎ)は誰かの手に渡り、真の勇者は悟られぬようにひっそりと消えていきます。嗚呼、裸祭りが終わったのでした。
よっしゃああ獲ったぞおおおと勇者の雄叫びもなければ閑静も拍手もありません。それはあまりにも静かで不安になるくらい。
時間にして15分くらいでしょうか。始まるまではあんなに長く感じたものの渦に入れば必死必死。よく分からないままに祭りは終わってしまったのでした。そして終わったと思えば途端に寒さを知覚する。さ、寒っ!
西粟倉村に来るまでは、祭りと言えば観に行くものであって参加するものじゃなかったなとふと思ったのでした。出し物を観たり、出店で食べたり、あくまで非日常を楽しむイベントという感覚でしかありませんでした。
けれど、西粟倉村に来てからは神輿を担がせてもらったり、裸祭りに出させてもらったり、消防団に入ったりとヨソ者だけれど地の人に混ぜてもらっては端で参加させていただいています。
祭りの後にお呼ばれして酒を飲みながら「宝木(しんぎ)掴むまでは三年はかかるわな」「来年はもっと頑張りや」と言ってもらえることが素直に嬉しかったのでした。
結局、去年の見学同様、宝木(しんぎ)がどんなものかわからないまま、今年も裸祭りが終わってしまいました。どうやら御利益を集めた陰陽2本の宝木(しんぎ)はヒノキでできているらしい。材木屋だから嬉しい。
最後にお情けでいただいたのは宝木(しんぎ)を巻いていた白い布、の一部。布からはハッカのような爽やかな香り、いかにもご利益がありそうなのでした。来年の目標は宝木(しんぎ)をこの目で見て触れることにしよう。匂いは覚えたぞ。ワン。
「んで、お前らもう飯は食ったんか?」
「祭り前に鯛の刺し身つまみました。安いの買ったんで」
「あほ、祭り前は摂食して身を清めんならんに鯛食うちゃらいけん」
あら。祭りだから目出度いものでも食べて景気つけようかと思ったんすけど。いやはや祭りは奥が深い。
こちらは来週末に行われる岡山市・西大寺の会陽(裸祭り)。9,000人以上の参加者、岡山県警650人配置ってスゴ過ぎッ!