TBSラジオの「東京ポッド許可局」という番組をよく聴いています。Podcastというアプリを使って、ランニング中や出張帰りの車内で流し聴き。
自意識が邪魔をする
「東京ポッド許可局」はマキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオら三人のオジサン芸人が屁理屈たっぷりに世の中を語る番組。突き詰めた屁理屈と考察がおもしろいんです。少し前に「10分どん兵衛」がソーシャルメディアで流行りましたが、それはこの番組発の話。
番組内には「自意識が邪魔をする」というコーナーがあります。自意識のせいでできないこと、できなかったことを、理由とともに自己申告するコーナー。
例えば、
文字プリントのTシャツが着れない → 意味のない英語を読まれるのが恥ずかしい
異性の友達を、下の名前で呼び捨てできない → 一気に距離を縮めたい感じが耐えられない、馴れ馴れしくできない
といった感じ。
これらはかなりライトな例えだけれど、どんなひとにも大なり小なり、自意識が邪魔をしてしまってできないことってたくさんあるのではないだろうか。
さらに、自意識が邪魔をするだけではとどまらず、自意識に苦しめられてしまうこともあるでしょう。
「ありたい自分」や「こんな風にみられたい自分」はどんなひとだって持っているはずです。見栄や恥ずかしさにはじまり、時には自分の目標(や時には虚像)と現実とのギャップに苦しんでいるひともいるように感じます。
- 「今のままの自分じゃダメだ」
- 「周りを見返したい」
- 「自分の理想に近づきたい」
ハッタリとプライドを突き通して生きるのが男だ、とも思う(し、そういう考え方は好きだ)けれど、それらに自分自身が苦しめられてしまっては元も子もありません。
自分自身がライバル!だなんて昭和スポ根漫画の名セリフが例えあったとしても、自分自身を敵にまわしてしまう必要なんてまったくないと思うのです。
意識低い系でいこう
いつか小汚い居酒屋でたまたま隣りに座っていたオッチャンは(たいそう酔っぱらいながら)こんなことを言っていました。
- 「最近は意識高い系だなんて聞くけどね、オレぁ意識なんて低くていいと思うんだョ」
- 「意識なんて高く持つからみんな苦しむんだ。そんな意識なんてさっさと捨てちまえ」
- 「オレは理想なんて持たねえ。今を生きてるだけでじゅうぶん幸せなんだから」
ぼくも(ずいぶん)酔っ払っていたから、一言一句覚えているわけではないのだけれど、確かこんなことを言っていたのです。
小汚い格好で顔を真赤にして酔っ払いながら、隣りの客(=ぼく)に絡んできたオッチャンの戯言、と言ってしまえばそれ以上でもそれ以下でもないんだけれども。でも、ぼく自身がその言葉にずいぶんと救われたことを覚えています。
意識が高い(=自意識が強い)ことで自分を苦しめてしまうくらいならば、いっそのこと、意識(なんて)低い(くらいがちょうどいい)系でいいんじゃないの、と。
人生ベストな選択ばかり選ぶことなんてできないし、いつも前向きベターな方向ばかりを向くことなんてできるわけありません。ま、これならいいか、と思える及第点だって立派な選択肢だ。
今は自分の未来を明るく描くことができなくても、人生なんて瞬間瞬間の永久な繰り返し。
今が楽しいとか、今が幸せである状態を積み重ねていくだけでもいいじゃないか。
嫌なことからは全力で逃げたっていいし、気が乗らないならやらなきゃいい。
自分を信じてあげるのに根拠なんていらない
高校時代、進学校の偏差値ピラミッドの最底辺を年中支えていたコンプレックスの塊くん17歳(=自分)。
学校帰りの電車内、英単語帳を開きながら、一緒に帰っていた友人が言った一言を今も忘れることができません。
- 「自分が誰よりも自分を信じてあげなきゃ、自分が可哀想だ」
- 「自分を信じてあげるのに根拠なんていらん」
自信という字はァー、自分をォ信じる。と書きます…なんて金八先生が声高に言ったような言ってないような。でも、オッチャンや友人の話は、そういうことなんじゃないかと思うのです。
学歴とか職種とか実績とか能力があるから自分に自信が持てる、なんてことは決してなくて、根拠なく自分を認めてあげて、たっぷりと愛してあげることの方がずっとずっと大切だ。それが自分を信じるってことなんだと思うのです。お前なら大丈夫だよ、って。
ぼく自身、大学受験で浪人して予備校に通いながらシコシコと勉強し続けたけれど、やっぱり志望校に受からなかった春、「こりゃ人生詰んだわ…死にてえ」なんて真剣に思ったものだけれど、今となっては笑い話にもならないし、どうでもいい過去になってしまいました。悩んで悩んで寝れない日もあったけれど、時間が経ってしまえば、たいていのことはしょうもない事象になるんだもの。
終わってしまえば些細なこと、なんてことは世の中に溢れています。
それでいいのだ
ある日、地元の友人と酒を飲んでいました。酒の肴は、オッチャンや高校時代の友人の言葉。こんなことがあってさァー、なんてただの思い出の共有。
そして、周りを見渡せば、転職するヤツ。うつ病になったヤツ。子どもが二人いるヤツ。結婚してすぐに離婚したヤツ。すっかり禿げたヤツ。自殺したヤツ。ヘンな宗教にハマったヤツ。何処で何やってるか分からないヤツ。この歳になっていろんなヤツが現れはじめてきたね、って。
そんな周りのヤツらを思い出しては、笑ったり罵ったり。
自分たちの平凡すぎる人生にガッカリしたり。
一歩を踏み出せば変わるかもしれない人生にすっかり怖気づいたり。
「オレの人生なんて、寝て起きて飯食ってオナニーするだけの繰り返しだわw」とゲラゲラと笑いながら彼はビールを飲み干した。
でも、オレはこうして元気に生きている、と。そうだ、それが大事だ。ぼくもおなじような人生だ。こんな感じに毎日が毎年が過ぎていく。
彼の笑い方はアホみたいだけど、楽しそうで、幸せそうで。ちなみにコイツは最近転職したヤツ。しかもちょっと禿げてきたヤツ。そして、結婚も考えてるヤツ。
自意識が邪魔をするくらいなら、意識なんて低くたっていい。
味が無くなって固くなるまで、ガムみたいに今を噛み続けていた方がいい。
人間なんてそんなもんだと思う。でも、今が楽しいし、幸せだ。
人生なんて生きて死んで終わり、以上。だから、それでいいのだ。それがいいのだ。